六華だより

互いに尊重しあい、誰もが輝ける社会をつくるために   ―東京2020パラリンピックとパラスポーツが持つ可能性―

第94号

後藤 陸(南62期)

なぜ「パラスポーツ」なのか

 25歳を迎えた今、友人たちの多くが既に就職し、再会するとよく仕事のことを話すようになりました。「どんなところで働いているの?」と聞かれて「パラリンピックやパラスポーツ(障がい者スポーツ)の普及・啓発をする財団で働いているよ」と答えると、友人たちはびっくりしたような表情で「なぜパラスポーツなの?」という問いを投げかけてきます。
 私がパラスポーツに関わろうと思うようになった理由は、パラスポーツには人々に気づきと学びをもたらし社会を変えうる力がある、と信じていて、その価値を発信していくことで貴重な学びの機会を世の中に届けたいと思ったからです。
 多額の予算がかかり、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催そのものに対しても疑問が投げかけられるなかで、「なぜパラリンピックなのか?」「なぜパラスポーツなのか?」という問いは、私個人に対する質問としてだけでなく、社会に向けてもきちんと答えていく必要があると感じており、日々自分のなかで模索し続けています。まだまだ不勉強な身ではありますが、同窓の皆さまに少しだけパラスポーツのことについてお話したいと思います。

パラスポーツで社会を変える

 パラスポーツは、障がいの種類や程度によってクラス分けが行われ、一定のレギュレーションのもとで公平な競争の場が用意されており、どんな人でも自分にあったもの・参加できるものを見つけることができます。なかには、アイマスクを使ったりすれば健常者でも行うことができる競技もあります。実際に観戦し、自分でやってみたりすると、その競技性の高さや面白さに驚くとともに、トップレベルのパラアスリートたちがいかに高い能力をもち、限界を突破しようと努力しているのかということがよくわかります。
 こうしたパラスポーツは、真の多様性のある社会を実現する起爆剤になりうる存在です。昨今しばしば聞かれる「共生社会」という言葉には、バリアフリーを整備しよう、障がいのある人が生活しやすいハード面や制度を整備しよう、というイメージがもたれがちですが、それが本当の多様性のある社会につながるかというと疑問が残ります。一口に障がいのある人といっても、種類や重さには差があるし、感じ方・考え方も異なるので、一人ひとりと接してそのニーズにあったサポートを行うことが大切です。私が接してきたパラアスリートたちも、障がいを負った経緯、「障がい」や「バリアフリー」に対する捉え方、スポーツに対する姿勢や想いも十人十色でした。健常者の我々が一方的に規範としているものを整備するだけでは、結局障がいのある人たちに対する目線を放棄することになってしまう可能性があります。こうした情況に一石を投じることができるのが、障がいの程度に応じてしっかりとルールが定められ、誰もが真剣に競技に打ち込むことのできるパラスポーツです。パラアスリートたちの姿や思いが、パラリンピックという舞台でドラマとなって多くの人に届くことによって、我々がもつ「障がい者」に対するステレオタイプを覆し、我々の一人ひとりが改めて目の前のその人と向き合い、尊重することの大切さに気づいてもらえることでしょう。

2018年5月に行われた車いすバスケットボール天皇杯。激しい鍔迫り合いを繰り広げる白熱した試合の末、宮城MAXが10連覇を達成。スポーツとしての純粋な興奮や面白さを、パラスポーツは備えています。

高まるムード

 2018年は、平昌冬季オリンピック・パラリンピックの開催があったことに加え、ボランティアの募集、観戦チケットの発売など、実際に一般の方に対して東京2020大会に参加する機会が開放された年であり、それに伴ってさまざまなセクションでパラリンピックムーブメントが活発化した1年だったと概観しています。組織委員会を始め、東京2020大会のオフィシャルパートナー企業が積極的にイベントの開催やプロモーションを行い、協賛等による活動援助はもちろん、もともと露出機会の多い自社活動を通じてのパラスポーツのPR活動が、確実にパラスポーツの認知度を高めました。マスコミもこの動きに対応し、新聞雑誌やテレビのスポーツ番組でもパラスポーツが取上げられることが増え、国民がパラスポーツの情報を目にする機会は確実に増加しました。私が職場で関わった体験イベントでも、パラスポーツのことを何かでみたことをきっかけに興味をもって来場される方が多く、ムードが少しずつ浸透し、パラスポーツへの見方が変わりつつあるのを肌で感じています。
 いよいよ開催まで1年となる今年は、この流れはさらに加速していくはずです。企業はさらにプロモーションを推進し、競技面でもプレ大会の開催や選手選考も進行で、競技団体やアスリートたちも2020に向けて集中力を高めていくことでしょう。政府、自治体、企業、学校問わず、2020というチャンスに向けてできることをそれぞれ積極的に打ち出しアピールする1年になると思われます。

2017年3月には、札幌でノルディックスキーワールドカップの様子。パラバイアスロンを加えた形としては国内初の試みでした。今年の3月にも札幌で再び開催されますので、ぜひ観戦に足を運んでみてください。

2020へ向けて、またその先の社会のために

 こうした動きは東京2020パラリンピック本大会で最高潮に達することでしょう。パラスポーツを通じて社会を変えるために、東京パラリンピックの会場を満員にしたい。その実現に向けて、さまざまなセクションと協力しながら、これからも普及活動に邁進していきたいと思っていますが、そのなかで課題だと思っていることがいくつかあります。
 ひとつは、東京とそれ以外のところの温度差です。現在私は東京にいるので、パラリンピックに関するイベントも多く開催され、ムードの高まりを感じていますが、それ以外の場所でも同じように盛り上がっているかというと、まだまだだと思います。ホストシティであり、人口も多く資金力もある東京の外の日本各地に、どのようにこの空気やそれに伴うパラスポーツの環境整備を波及させていくかということは大きな問題です。2030年の冬季オリンピック・パラリンピックの招致を目指す札幌・北海道だけでなく、全国でパラリンピックに対する注目度を挙げていけるよう、なんらかの方策を立てる必要があります。
 また、もうひとつは2020年以降のパラスポーツ興隆の機運継続です。現在の企業によるプロモーション等の活動も、2020年の大会以降も同じように継続されるとは考えにくいです。本当の意味でスポーツを根付かせるためには、トップレベルに達することのできる環境に加え、やりたいと思った初心者が気軽に取り組める環境のふたつが必要ですが、パラスポーツにおいては、そういった環境構築はまだ先が長く、むしろ東京パラリンピックを契機としてさらに整備を進めていくべきものです。障がいのある人々のなかには、パラアスリートは障がい者のなかでも恵まれた特別な存在で、自身と比べて引け目を感じてしまう人も多くいます。これはそもそも障がいのある人のなかでもパラスポーツに触れることができず、自分の生活とスポーツを結びつけることがなかった人が多かったからではないでしょうか。そういった人も変わることができるよう、2020年の先も見据えた機運醸成は必須といえるでしょう。
 そう遠くない未来、さまざまな面で変化を遂げようとしている日本社会において、パラリンピックはきっとポジティブかつ重要な役割を担うことができるはずです。2020年、東京で、テレビの前で、パラリンピック・パラスポーツの感動と興奮を皆さまと共有できるのを楽しみにしています。

後藤 陸プロフィール

1993年札幌生まれ
札幌南高校を卒業後、京都大学文学部入学。高校時代に野球を入り口にしてスポーツ観戦に夢中になり、大学時代はライフル射撃競技に取り組む。
2018年、京都大学大学院文学研究科歴史文化学専攻を修了。現在は日本財団パラリンピックサポートセンターに勤務し、パラスポーツの普及を目的としたイベントの開催や、アスリートの支援事業に従事している。