六華だより

【特別企画】六華同窓会2018実行委員会会報誌より

第94号

※2018年度六華同窓会の「会報誌」で編集長を務めた北條貴文(南43期)と申します。以下の鼎談は、我々南43期が幹事期だった2018年度の六華同窓会で出席者に配布された会報誌から、反響の大きかった記事として特別にピックアップしていただいたものです。当日参加できなかった同窓の皆様におかれましても、開かれたウェブ記事としてお読みいただけると幸いです。なお、南43期責任編集の本会報誌は、 チエモク小別沢ファクトリーショップ に数部在庫があり、希望される六華同窓にはお渡ししているとのこと。


六華を象徴し、札幌南高校への憧れを要約する『自由』という便利なフレーズ。響きは立派だが、そして我々はそのイメージに感化されて入学した当事者ではあるが、その実態を掘り下げることは禁忌のような気がしていたことも事実だ。そこで、南43期を代表する識者である、常見陽平(大学教授)・岩隈道洋(大学教授)・岡崎泰之(外務省勤務)の3人に、彼らなりの自由の定義を自由に語ってもらった。(※対談中の発言は全て個人としての見解であり、発言者の役職、所属団体等とは無関係なものです)

[聞き手] 宇高大志(ITベンチャー企業勤務)
[聞き手・取材・執筆・写真] 北條貴文(2018年度六華同窓会会報誌編集長)

常見:今日はとっても面白い人選だなと思いつつ、赤坂まで参りました。

宇高:常見くんとは3年のときに同じクラスでした。

岡崎:高校のときは、顔は知っていたけど、あんまり深く喋ったりしなかったという人も多かったよね。なんせ12クラスもあったし。

常見:ですね。同窓会で初対面の同期もいます。うちは母も弟も六華なので比較的どっぷりですが。

岩隈:常見くんとは高校在学中に「世界にひたる会」という集いに誘ってもらってからの付き合いです。今は同じ職種になっていますが、常見くんのほうは多方面でいろいろと…。

常見:細かいことはいいじゃないですか(笑)。議題の「自由」について、一応の結論を出したいなとは思ってて。

北條:今宵、南43期の同期3人に語っていただきたいテーマは「札幌南の『自由』とは何だったのか?」です。

岡崎:ざっくりしてるね。かえって難しいテーマかも。

岩隈:でも、大きいテーマの方が語りやすいかもしれない。

岡崎:それこそ自由に放談できるか。

常見:僕たちは1990年から1993年まで南高生だったんですよね。1974年と1975年生まれ。

北條:そうです。1歳上も何人かいました。

宇高:マジ?

常見:僕たちは、そもそもなんで南高に入ったんでしょうかね?

岩隈:とくに主体性はなかったかな。

岡崎:僕は小学生のときから外交官になりたいと思っていて、そのためにどうすればいいかという観点から、小樽から南高を選びました。

岩隈:すごいね。

常見:僕はとにかく新聞を読むのが好きな子供だった。話が合いそうなタイプは、南高生しかいなかった。

北條:こども新聞とかではなく?

常見:うん。普通の新聞。もちろんテレビ欄とか手の届きやすいページから始まるんだけども。冬になると、新聞配達員がキュッキュッと雪を踏んでやってきて、音が聞こえると玄関で待機して、新聞受けに入れた瞬間にバッ!と取るという。

岩隈:配達員さんもびっくりだよね。

常見:あと、当時よくわかってはいなかったんだけど、ロッキード事件の後日談が報道されていて…。

岡崎:それって相当前だよ、小学校に上がる前。

岩隈:事件が1976年だから、70年代後半か。

常見:僕はね、幼稚園が1年保育で。最後の年長さんまで、同世代のひとと会ったことがほぼないんですよ。ずっと家にこもってたの。

北條:あらま。

常見:なんというかなあ、ロッキード事件のなんたるかはよくわからないんだけど、大きな権力者に切り込むというか、権力者が叩かれている様子を見て熱狂していたの。それが原体験で。

北條:今でもロッキード事件のなんたるかはわからんですわ。

常見:あと、今思うとね、僕はやはりコミュニケーションが苦手な方だと根っこの部分では思うんです。だいぶ慣れてはきたのだけど。

岩隈:まあまあ(笑)。

宇高:たしかに、高校時代の常見くんは、近寄り難い雰囲気があったかも。

常見:近所の同年代と遊んだ記憶はなんとなくあるけど、先輩ばかりでいじめられるから、ずっと家で本を読んだりレゴブロックを組み立てていたんです。とにかく引きこもって、おさがりでもらった本とか図書館の本を右から左に全部読むような子だったんですよ。

岩隈:初めて聞いたかも。

北條:常見陽平ファンが大喜びのエピソードですよね。

常見:で、何かものを書く仕事がしたいなと幼い頃から思っていて。で、なんとなく内地に行きたいと思って。で、東大には失礼なんだけど(笑)、東大的なものが苦手で、そこではない国立で、なにか面白そうな大学ならば一橋の社会学部だとなりました。

岡崎:気にしないで大丈夫だよ(汗)。一橋も名門です。

宇高:え、高校に入る前から?

常見:そう。絶対、一橋の社会学部だと。

岩隈:高校1年の時からそう言ってたね。

常見:だって、社会学部に行かないと一橋に行く意味ないもん。極論ですけど。学士の卒業は商学部だけど。

北條:高校に話を戻しますが、もし北高に行けたとしても、南高を選んでましたか?

常見:選んでましたね。15の僕を想像して、確信できる。

岩隈:それはあるかも。

北條:自由なイメージだから?

岩隈:ざっくりしてるなぁ(笑)。

常見:資料的な観点だと、僕らは団塊ジュニア世代で、出生数も200万人を超えているベビーブーマーなんですよね。

北條:ちなみに団塊ジュニアは1971年から1974年までに生まれた世代ですね。

宇高:ピーク年である1973年の出生数は210万人。1コ上か。

常見:偏差値教育の成れの果てというか、「自由」とはある種、その活路のような…。多感な中学3年生に「自由」という言葉は重く響くものなのでしょう。

岡崎:えっと、北高の人たちも、ある程度は自由で…。

北條:この会報誌は北高生は読まないから遠慮なく。

岡崎:本当かな(笑)。北高は現役で北海道大学を目指して親を安心させているイメージかな。札南生たちは、多少一浪や二浪しようと、あんまり有名じゃない大学だろうと、とにかく東京に出たいっていう感じだったよね。

常見:やっぱり北高って、勉強をするところ。南高は体験するところ。

岡崎:体験か。そうだね。

岩隈:南高も勉強したい人が集まっているんだけど、受験勉強ではないこともしっかりできるというイメージは強かったですね。

北條:これぞ、札南の自由だ!っていう経験はありますか?

岡崎:1年生のときに課外自主講座という有志の集まりがあって。僕は現代社会の担当だった澤田展人先生(当時)の「哲学書を読む会」を選んで、結局3年間続いたんだよね。

北條:寺島啓太くんもインタビューでその話に触れていました。卓球部と両方やっていたんですね。

岡崎:僕もハンドボール部で…北條と一緒だったよね(笑)。

北條:「哲学書を読む会」の存在なんて知らなかった。まさに文武両道じゃん。

岡崎:部活をやっていた人も多いからその後に夜遅くまで、澤田先生が持ってきた哲学書の原文をみんなで読んで議論する会なんだよ。メンバーは10人くらいで途中から下級生も入ってきた。合宿とかもやったな。ああいう自主的なグループは面白いよね。

宇高:その流れではやはり、常見くんと岩隈くんが結成した「世界にひたる会」の話を聞きたいなあ。

岡崎:あったね、世界にひたる会。卒業アルバムにも掲載されていた。

常見:僕が創始者で、岩隈くんがついてきてくれた。

岩隈:会の名前のインパクトが半端なかった(笑)。

常見:もちろん僕が名付け親で、当時からイロモノ視されていたけど、言論サークルをつくりたかったんだよね。あれが僕の原点。

岩隈:実は、『どさんこワイド』(STV)の明石英一郎さんの取材を受けたんですよね、「世界にひたる会」。

北條:取材当時は『どさんこワイド120』(1991年10月7日〜1993年9月30日放映分まで)のときかな?『どさんこワイド212』(1993年10月1日〜2004年11月30日放映分まで)の前の初代タイトル。今の数字はなんだっけ?

宇高:そこ?

岩隈:もちろん楽しみにしていたんだけど、尺も短いし、ちょこちょこっとイジられてパッと終わっちゃった。明石さんに会えたわけではなくスタジオ中継だったし。

常見:ただただイロモノ扱いされて終わったよね。

岩隈:そう。それですごく傷ついた(笑)。

宇高:傷ついたんだね。

常見:でもあれは、高校時代に体験できてよかった。おかげさまで10年くらい前からメディアで発言する機会がありますが、そんながっかり体験を、僕は毎週のようにしています。

岩隈:大学に入ってから思ったんだけど、常見くんとやっていた「世界にひたる会」には、高校の分際だけど大学のゼミみたいな雰囲気があったように思う。中3のときにベルリンの壁が崩壊してソ連がなくなり、湾岸戦争が勃発という激動の時代の中で、語りたいことがたくさんあった。

北條:同年代と意見を交わせるなんて素晴らしいことですよね。

岡崎:湾岸戦争のことは覚えてる。当時担任の藤井勉先生が、「始まったぞ!」って廊下で大声で叫んでいたよね。

常見:僕も聞いた。湾岸戦争のときね。1990年8月のイラクによるクウェート侵攻がきっかけ。

岩隈:国際連合が多国籍軍を派遣して、イラクを空爆したのが1991年1月17日。

宇高:購買の牛丼弁当が値上がりするって怯えてたよね。

北條:年明けの部活帰り、湾岸戦争が一週間続くかどうかで賭けをした記憶が…。

岡崎:僕は乗らなかったと思うけど…(笑)。

常見:PKOも話題になったね。

岩隈:うん、日本が行くかどうかってことでね。

常見:結果論なんだけど、僕らって高校入学から大学卒業までの7年間に、かなりの衝撃的なことが起こっていたんですよ。大学1年の1993年には自民党の単独政権崩壊、大学3年の1995年は、オウムと阪神・淡路大震災の年。円高が進んだりインターネットが一気に普及したり。

北條:外交の歴史的にはどんなことがあったのですか?

岡崎:戦後、国際社会から支援を受けて復興した日本が、ちょうど世界銀行からの借金を返し終わったのが1990年。一方で、前年の1989年には日本のODA供与額が世界トップになって、90年代は日本がほぼトップを走り続けた。国連安保理の常任理事国に入りたいという話が始まったのもこの頃。

常見:そうそう。

北條:高1まではめっちゃいい感じじゃないですか。

岡崎:その頃の日本はアジアの代表として国際社会との橋渡しをして、アジアの中で認められたいという気持ちがあったのかもしれない。なるほど日本が安保理常任理事国に入ることも納得というような。

常見:竹島や尖閣や慰安婦の話などは社会的に問題化しておらず。

岡崎:それは、日本でバブルがはじけて経済力が低下する一方で逆に中国や韓国は経済力をつけて自信を深めていったことと無関係ではないかもね。さらに1994年には北朝鮮の危機があり、東アジアの情勢が複雑化していくなか、日本にとっては必ずしも追い風ではない時代に突入していくわけ。

北條:ありがとうございました。

宇高:僕らが「自由」に浸っていたとき、世界はそんな情勢だったとは…。

常見:2013年に『アラフォー男子の憂鬱』(日本経済新聞出版社)という本を出したとき、サブカルや政治経済まで含めて、「僕たちは17才までは人生楽しかった!」って同世代の著書で話したことがあって。

岩隈:それ同意。

岡崎:痛いとこだなぁ。

宇高:俺たち、高2までかぁ…。

岩隈:日本の将来は明るいってことに不安をまったく感じていなかったのは、僕らが高校を卒業するまで。そこから先は、世の中や世界はそんなに甘くないぞってことになっていく。

常見:「就職氷河期」って言葉もその一環。僕らが高3のときに「就職氷河期」って言葉が使われはじめて、流行語大賞をとったのが翌1994年。

岡崎:そういえば、卒業式でジュリアナ東京の真似をした連中がいたね。

北條:タイミング的には就職氷河期と重なっていたんだね。なんかミスマッチじゃない?

常見:実はジュリアナ東京(1991年〜1994年)はポストバブルで、本当のバブル時代はマハラジャのほう。オープンは1984年。実はバブル全盛期のあたりって、天皇崩御(1989年1月7日)で自粛ムードの渦中でもあった。電通マンによると、リーマンショック後と同じくらいかそれ以上の広告のキャンセルもあったと聞いています。

宇高:意外な気がするけど、そうなんだ。

岡崎:昭和が終わって、経済も低迷した。

常見:未来がこうなるって、皆さんはどのくらい想像してました?

岡崎:個人的には外交官にはなりたかったけど、日本の未来についてまで考えていたわけではなかったかな。最近の新卒の若い子たちはちゃんと考えていて、恥ずかしいですね。

常見:僕も実はそうで。当時は、なんとかこの職業につけるかな?くらいしか正直考えていなかった。社会のことを考えるようになったのは30代から。20代は自分のことで精一杯だったし。歴史の勉強はもっとしなきゃいけないし、平成はちゃんと振り返るべきだよね。

岩隈:うちらの代だと、現役の大卒1年目に拓銀が破綻。

宇高:1997年の11月だったっけ。

北條:僕だけまだ4年生でした。

常見:それまでの北海道のエリートコースといえば、「南高(北高)→北大→拓銀」で、そのシステムが崩れたわけだから。銀行が潰れるなんて、思いもよらなかったことだよね。

宇高:ちょうど今44歳じゃない?世代間の共通認識というのかな、あえて一本だけ年齢層を分断する線を引くとしたら、僕らは線のギリギリ下に入と思うんだよね。とても幸せなことかもしれない。

常見:45才がラインってこと?

宇高:49歳と60歳の認識の差はそれほどなくて、それよりも、我々44歳と49歳の認識のズレのほうが大きいかもしれない。

北條:諸先輩がた、スミマセン…。

常見:「平成」って言い得て妙なんです。「平らに成る」とよくも悪くも予言している。世の中がフラット化していった。

岩隈:実を言うと格差社会。

常見:そのとおり。

岡崎:逆説的だね。

常見:だけど、ネットが広がって従来の中間層が落ちた。それを含めて、平らになっていったというのが一応の僕の見解。

北條:で、崩御の翌年に札幌南高校に入学した僕たちの「自由」はどこへ?

岩隈:高校にまた戻ったね(笑)。

岡崎:まとまるの?これ(笑)。

常見:そうでした。「自由」についてですよね?札南生って、「僕は自由だ」という問いに対して、必ず一度は悩んでいると思いますよ。それまでは、神童と呼ばれたり、生徒会長だったり、学年トップ層か少なくとも成績上位ではいて。

岩隈:いざ入学してみたら、もっとできる同い年がいる。しかも、勉強だけでもない才覚の存在をも知ってしまう。そういう同期550人(当時)の中で3年間揉まれるわけだよね。

北條:札南生によくある挫折の典型ですね。

常見:アルフィーの『恋人達のペイヴメント』という曲にある、「ああ あの頃は若さをもてあまし いつか若さにもて遊ばれた」の歌詞を思い出して悟ったり…。

宇高:でもまだバリバリ現役だよね、彼ら。

常見:村上龍の高校時代と比べて、全然自由じゃないと思ったり…。

岡崎:それは特殊だね(笑)。

北條:岩隈教授がこの前行ってきたイランには「自由」はあったのですか?

常見:聞きたい。

岩隈:女性は本当に黒いチャードルを被っているわけ。同行した家内も、旅行で来たというドイツ人も、イランとサウジアラビアではチャードルを被らないといけない。

北條:ぜんぜん私服じゃないんですね。

岡崎:そもそも、サウジアラビアは観光目的で入国ができるところではないからね。いまどき女性が運転できるようになったことが大きなニュースになるくらいですから。

北條:サウジアラビアの高校生はどんな感じですか?

岩隈:直接交流できたわけではないんだけど、祝祭日で御輿のようなパレードがあるとき、道端に並べられた学生たちは、たぶん宗教的なスローガンを先生に言わされていた。「欲しがりません、勝つまでは!」みたいな。

北條:ぜんぜん自由じゃないんですね。

岩隈:自由を相対評価してよいものかという議論もある。宗教の国なので、もちろん国を称えるようなスローガンだとは思うんだけれども。日本をどこと比べて自由というかの問題でもあると思います。

常見:たとえば実家が嫌で仕方なかったひとは、会社の寮に入ったら、起床時間が決まっていたりラジオ体操があったり組合の運動とかまで決まっているかもしれないのに、自由だと感じちゃうんだよ。

岩隈:それは仕方ない(笑)。

常見:結局、自由だ!と言ったって、同期の青木 篤くんにはかなわないわけですよ。

宇高:中東から青木くんへ…。

北條:自由の相対評価うんぬんは置いといて、とりあえず絶対値を計測するとべらぼうに高いみたいな(笑)?

岡崎:ちょっと強引かな。面白いけど(笑)。

常見:高校1年の入学式のとき、同じクラスにいた青木くんを見て、「なんて青木くんは自由奔放なんだ!」って思ったし、それは今でも思うんです。

北條:この会報誌には、青木 篤くんのインタビュー記事があります。

常見:青木くんは成功しているといえばしている。ミュージシャンとして認められている。ビジネスとしてどうかというと、本人が公言している通りだけれど、自由度でいえば日本の上位5%に入ると思うんです。人生の8割くらいは好きなことをやって、そこそこ稼いでいる。

岡崎:本人はどう思っているのかな(笑)?

北條:「ぜんぜん自由じゃないよ?」ってつぶやきそうではありますね。

岡崎:たしかに(笑)。

北條:つぶやきで思い出しましたが、高校時代にfacebookやTwitterがあったとしたら何をしていましたか?

常見:おお。いい質問だね。

宇高:自由につぶやけたのかな。

岩隈:考えたことなかったなぁ。

北條:個人的にはあったらよかったなと思っていて。佐藤裕寛先生は1年も2年も担任で、初日の自己紹介のタイミングをあえて省略したんだよね。ああいうときにSNSがあったら便利だったなと(笑)。

常見:僕は偽アカウントを開設して愉快犯みたいなことをやるかな(笑)。風俗嬢だけど詩人、みたいなアカウントをつくって。

岩隈:やりそう(笑)。

宇高:SNSで「世界にひたる会」も部員募集できたのでは?

岩隈:発信はしたと思う。集まるかは不明。

常見:SNSができると自分をメディア化できるんだよね。

北條:高校時代にSNSがあったら、貪るように本を読むことはなかった?

常見:いや、いずれにしても活字は読むでしょうね。ネットの情報も限られていますし。

岩隈:今の高校生や大学生だと、活字に触れる機会は、本からじゃなくてネットからなんです。単純な数字としては、こんなに活字を読んでいる時代はないのかもしれません。

常見:今は図書館の存在とか、どうなんだろう?僕は図書館でひたすら本を読んでいた。岩波新書と中公新書を右から左に読んでいて、それは今も役立っています。

岩隈:それぞれが勝手に、自分の好きなものをどんどん読むという読書をしている中で、ときどきたまに、傾向が似ていそうな人に声を掛ける機会があるんです。

北條:それ、まんまSNSみたいじゃないですか。貸し出し票がタイムラインで…。

宇高:オフ会もある(笑)。

岡崎:見知らぬ人と繋がるという点ではたしかに。

常見:ヴァーチャルではないけど。そんな出会い、語り合いたくなるよね。

岩隈:世の中一般だと大学に入ってからやるような興味の追求を、ごくごく普通に自然とする毎日、そういう雰囲気はたしかにあの高校にはあったように思います。

北條:それな。

常見:当時の札南の良さって、「話せばわかる」ってことだったんじゃないのかな?

岩隈:ある程度のコミュ力があったり、みんなそれなりにすごいところは1つくらいは必ずあるんでしょうね。

常見:やっぱり札南の人たちは、コミュ力も基本的な倫理観のようなものも基礎学力も総じて高かったんだよ。

北條:現役生たちのSNSやLINEの使い方を知りたいもんですよね。授業中とか、テスト情報とか、青年の主張とか。

岡崎:昔はさ、僕らみたいな地方の高校生が、世の中に情報発信する手段なんてほとんどなかった。今は、SNSやYouTubeにアップして気軽に発信することができる。それで願望が満たされる、いや、満たされた気になっちゃうんだとすればちょっと違うと思うけど。

宇高:最近は若者のバンドのレベルが上がってるみたいね。日本から海外まで、有名アーティストのギターやドラムさばきを動画で視聴できるから。

常見:1980年代後半は、ライブに行くとお目当てのギタリストの前の席はギタリストが買って陣取っていたんです。双眼鏡を持っていて、指遣いを見ているわけ。

北條:伝説を写真とテレビでしか見られなかった時代ですね。

常見:そういうこと。今は、世界中のトッププレイヤーの演奏を映像で、しかも一時停止しながら見られるわけだから。良いお手本が身近にあるから上手くなる。今はネットで選択肢が増える時代ってこと。

宇高:テレビでNBAが中継されるようになってから、日本の子供のバスケのステージが1つ上がったと聞いたよ。

岡崎:選択肢が増えることはいいことだけどね。

常見:一方で自由の罠、多様性の罠、もある。

岡崎:インターンの学生とかのプレゼン能力も上がっていると思う。聞いてみるとやっぱりYouTubeでTEDなんかをよく見て勉強している。でも、プレゼンのやり方ばかり上手になって、サブスタンスがおろそかになるのであればよくないと思う。

北條:相対評価には慣れているけれど、オンリーワンに価値を見出す術は、評価する側も難しいとは思う。

宇高:たしかにぼんやりしてるよね。

北條:我々世代では宇多田ヒカルさんの元旦那(紀里谷和明/1968年生まれ)を見て、上の世代でいきなり海外に行っちゃうひとっているんだと驚いたものだけど。

岩隈:今はわりと普通に高校生でもいますよね?留学や高校から海外とか。たしかに海外の大学に行くなんて南43期でも少数派だった。

岡崎:日本って社会的なステレオタイプはけっこう強くて、制度や法律以外の目に見えない自由じゃない部分は、まだまだある。

北條:札幌南の「自由」もステレオタイプなのかもしれない?

常見:事実、地方のトップ校にありがちな校風ではあるよね。私服であったり、年に一度ストレスを発散させるためなのか100km遠足みたいなイベントがあったり、わりと似たような感じ。

岩隈:札南にも1年のときだけ雪戦会がありましたね。

岡崎:雪戦会のように、各県のいわゆる一中・一高といった自由を謳う地方の伝統校には、地域の名物になるような行事があるんだよね。部活動や学校祭や体育祭も全力で参加して。で、親には申し訳ないけど、一浪していいところに入るという。南高もなんかやっぱりこう、浪人なんて全然悪くない、みたいな雰囲気があったよね。

常見:浪人への意識の低さ、それはなんとなくわかる。4月から俺は「北口(代ゼミ)だよ」とか、「桑園(札予備)に進学するよ」みたいな。高校を卒業する1993年には駿台予備校も開校していた。

岡崎:そういう意味で、受験勉強もむしろ楽しんでたというか、ノリで悲壮感なくやっていたということかな。

北條:でも、本日の3人と宇高くんは全員現役じゃん(笑)。

常見:たしか岡崎くんは、模試の際に志望は東大法学部一本だから、それ以外はマイナーな志望先を選んで1位をとれるか試していたよね?

岡崎:ありましたね。鍼灸の大学とか、缶詰製造の学科とか。

北條:たまに2位になってたね(笑)。

宇高:それって…(笑)。

岡崎:模試によっては志望者数が多くてね(笑)。珍しい大学なので模試の志望校リストの中で目立っていて、全国で同じようなことをやっている人が結構いたみたい。

北條:東大理三に現役合格した山本雄士くんのエピソードもいろいろと…。

常見:参考書の誤りを指摘したら、お礼に図書券をもらったんだって。その参考書は改訂版が出て、雄士くんの指摘通りに書き換えられたんだよね。

岡崎:その担当編集者、怒られただろうなぁ。

岩隈:それは自由だね。

常見:うん。ぶっちゃけ、大学の方がつまらなかったね。南高が大学みたいだった。

岡崎:大学に入ると「自由」を求める人は学校の外に求めるわけで、南高に感じた仲間意識とかは薄くなるかも。

北條:それな。

常見:議論したい点は、「札南は自由だぞ、素晴らしいんだぞ」というけれど、何に対して自由なのか?どんな自由なのか?何からの自由なのか?

岩隈:いいね。

北條:校則がないとか?

常見:私服だとか校則が少ないとか、そういう事実にとらわれて「自由」を議論していたんじゃないかな?制服はあるけれど考えや行動が自由、という高校は他にもある。

岡崎:まあ、南高もみんなが「自由」を議論していたわけでもないし。

北條:自由への前ならえみたいな空気は、なんかイヤだった。自由じゃないよね。

常見:それは「自由という麻薬」です。普通は、大学生になるタイミングに経験することを高校時代に済ませてしまう。制服を脱いで、東京に出て、髪を染めてみようか、チャラいサークルに入ってみようか、渋谷で飲んだり合コンしてみようか、って感じのこと程度は。

北條:自由奔放でなきゃならない、みたいな…。

岩隈:でも、受験勉強に関しては、それだけで日常が埋まってしまわない工夫を、それぞれがそれぞれのやり方で自然にやっていませんでした?

岡崎:そうだね。受験勉強ばっかりやっているのはカッコ悪いって雰囲気があったように思う。

岩隈:そうそう。

岡崎:リスクはあったんだけど、大学に入ってみると、そういう人たちはいっぱいいて、そういう人たちのほうが人間に余裕があるし。

常見:そうだ。札南から東大に行って、同級生を見てどう感じました?

岡崎:たしか1993年は現役で10人くらい東大に入ったのかな。当時の地方公立高校としてはまあまあな成績。

常見:東大はやはり御三家カーストなるものがあるといいますし。

岡崎:開成はたくさんいたから。まあピンからキリまで(笑)。筑駒と灘の人たちはすごいと思った人が多かった。

北條:岡崎でも?

常見:それはどういう点で?

岡崎:彼らは勉強だけじゃなくて、自分が将来何をしたいか、ものごとをちゃんと考えている。そして遊び心や余裕もある。あの2校はおもしろいなと思いました。

宇高:たぶん、「自由」が東京や神戸という「都市」で醸成された結果のように思う。札幌南って、札幌の限界というか、地方都市の限界がある。そこに都市という要素がプラスされたら、札南ももっと次のステージにいけるような気がする。

岡崎:子供が東京で育って、今大学生なんだけど。周りには高校のときに数学オリンピックに出たり、アプリを作って起業している子もいたりするそう。

常見:そのレベルかあ。

岡崎:子供からそういう話を聞いていると、僕らは高校時代に好き勝手にやっていると思っていたけど、今の大学生のほうが遥かに選択肢は増えていて、その中でそれこそ自由に選択をしている人はちゃんといるんだよね。

岩隈:そういう意味での頭の良さですね。常見:僕は今日、電車に乗ってからずっと、「僕らは何からの自由を追い求めていたのか」を考えていて、ずっとモヤモヤしているんです。学校行事を頑張って私服でそのままススキノに打ち上げに行くとか、変わり者や奇妙な秀才がいっぱいいるなんて、ある意味進学校では当たり前なわけで。

岩隈:そうだね。

岡崎:まあ「自由」と言ったって、普通の地方の公立高校にいたわけだから。とどのつまりは「守られた自由」なんだよね。

北條:大学のモラトリアムのような?単に3年先んじて経験していただけ?

岩隈:ああ、大学のサークルにも、あの「世界にひたる会」以上の興奮はなかったかもしれない。

常見:結局、南高は校則が自由だってことで、過剰に期待しちゃったんじゃないかな。

北條:でも、その過剰な期待はそのまま勉強には紐づかないにしろ、若人の燃料にはなりますよね?

岡崎:そうだね。僕らはぬるま湯の中に浸からせてもらっていたのかもね。なんだかんだ言っても、社会人になって世の中に出れば自由にはリスクを伴うわけで。でも、南高では、そのリスクの部分は考えずに、自由な気分を味あわせてもらっていた、ただし全力で(笑)。

岩隈:守られた自由、自由なフリ。その真っ只中にいると気付かないよね。

岡崎:今考えると、先生方はすごく理解があったなと思います。自主講座なり、イベントなり、学校の雰囲気なり、そういう自由をわかりやすく散りばめてくれて、僕らは自由なフリをさせてもらっていた。

北條:青春の一番美味しい部分に、「自由」をフリ掛けられていた、と。

岩隈:守ってもらっていたんだね。

岡崎:当時は、全部自分たちで考えて、誰にも世話になってない、なんて大人ぶっていたかもしれないけれど。今だからこそわかる。

常見:「補助輪付きの自由」みたいな。

岩隈:うまいこと言うね。

常見:その補助輪なしのホンモノの自由で、負けた経験があるんです。「自由度で負けた」と思ってしまった瞬間があったんです。

宇高:自由度で負け?

岩隈:それ、高校時代も聞いたやつかな(笑)。

常見:同じ中学だった南高の先輩女子が、道工(どんこう/北海道札幌工業高等学校)の男とつきあってて。僕は両方と知り合いだったんだけれども。

岡崎:それで?

常見:ある日、その彼が「常見、俺、今日高校を辞めてきた!」ってにっこり笑って言うんです。ふたりは手をつないで行ってしまって…。そのとき、「ああ、俺は自由度で負けたー!」って思ったんです。

岩隈:本気で悔しがっていたから…。

岡崎:その友人は勝ち?

常見:僕らの自由は、他の高校に対しての自由であって、「他の同世代に対しての自由」ではなかった。

北條:それな。

岡崎:いい視点。

岩隈:それだね、たぶん。

常見:札南への苦言というわけではなくて、とどのつまりは自分たち世代の限界なんだけど。オルタナティブを作りきれなかった気がする。

北條:キーワードが出ましたね。「自由のオルタナティブ」。既存のものに取ってかわる新しいもの。

常見:時代へのカウンターパンチのような。僕が今やっているラジオ番組で、平成を総括する企画があるんだけど、1980年代と90年代前半までは、恋愛と消費ががっちり結びついていた時期。その恋愛と消費が分離した時期が、平成の中期から後期だとするならば、それに対するオルタナティブをつくりきれていない。

北條:ほう。

常見:昭和的なモデルって、「会社による安定」か「会社からの自由」かという二項対立だったのね。でも今、会社から離れた場合のオルタナティブって完成
されていない。

北條:宇多田ヒカルの元旦那のようなフリーランススタイル…。

岩隈:なんか好きですよね、彼のこと(笑)。

常見:札南出身者はあれだけ自由な高風なのに、オルタナティブをつくれていないんじゃないかという危機感はある。

北條:うん。いいね。

宇高:どういうひとがつくるべきだと思いますか?

常見:それはもう、同窓会にいるみんなですよ。それぞれがつくるべき。六華の大先輩である任天堂の岩田聡(南28期/故人)さんは、だいぶオルタナティブを作ったけれど、新たな波までは作りきれていない。

岡崎:たぶん僕たちって、特定の価値観や与えられた価値観のもとで、それをどう実現するかってところについての「自由」だった。

岩隈:応用力ですね。

岡崎:でもね、どういう価値観を実現するか?何がいいのか?新しい価値観を生み出すっていうところに関しては、まだまだ足りないと思うんだよね。

常見:今の世の中は、いっぱい働く人ではなくて、新しい価値観を生み出す人が勝つわけですよ。

岡崎:バブルがはじける90年までは、日本は右肩上がりのリニアな世界で、特定の価値観に向かって一生懸命働いた人が勝つことができた。今は、まったく従来と違う、新しい価値観をいかに生み出していくか。それに向かうには、僕らはちょっと年をとり過ぎたかな(笑)。

宇高:でも、新しい価値観はつくれないかもしれないけど、ギリギリ応援はできる。新しい価値観を作ろうとしている後輩たちを、ちゃんとこう、受け容れる。そういう役割も大切なんじゃないかと。

常見:僕はまだ、新しい価値観を作れないとは思っていない。時系列が変わっているし、僕らはまだまだ若いんですよ。世の中が高齢化しているから。

岩隈:まあ、常見くんは昔からフレッシュだよね。

常見:一方で宇高くんが言っていることも正しい。自分ができないことがあるから、それは年齢に関係なく、できないことをできる人を応援する。お金を出したり、賛成の声を上げたりすることで。

北條:出る杭をどうこうする単純な議論でもなさそう。

岩隈:あとは、年をとってきたことをネガティブにとらえないこと。40代半ばまで色々と培ってきたものは確実にあるから、その僕らが持っているものの組合せをヒントとして後人に与える。もしくは、彼らの持っているものと僕らの持っているものを組み合わせると、新しいものが生まれるかもしれない。

宇高:岩隈先生!

北條:いわっくん!

岩隈:それ、25年前のあだ名でしょ(笑)。

常見:年をとると衰えるものもあるけど、逆に向上していくものもある。たとえば人脈。facebookで3,000人と繋がっている20代もいるけど、なんだかんだ言っても、リアルな繋がりは人生長く生きている方が多いんだよね。あと、経験値も含めて判断力は高齢者の方が上がる。

北條:若い人が錯覚しがちな落とし穴ですよね。

常見:あと、我々世代においても、同窓会のやり方で気をつけなければいけないことを1つ。

北條:はい。

常見:こんなに有名なひとを輩出していますよ、という事実は六華としてもたしかにすごいことなんだけれど、それは札幌一高の時代(1948年に札幌一中が札幌一高として新制高校に転換)だったら当たり前のことなんだよね。

宇高:たしかに。

北條:太宰や三島や漱石や芥川龍之介とか、高校時代に全集読んだ作家がみんな東大卒で偶然かなと思った感じに近い?

宇高:たぶん。

常見:そうなると考えてしまうわけですよ。

北條:なにを?

常見:僕らはどれだけ生み出したんだろう?どれだけ生み出せるんだろう?幸せの数を。

岩隈:常見くんらしい。

岡崎:自由のオルタナティブの追求は、新しい価値観や幸せを生み出すことに繋がるってことか。

北條:自由って、なんだろね?

宇高:やっぱりさ、高校のときから「自由とはいいものだ」という空気があったじゃない。「自由って何かな?」とか「俺は今自由じゃない」みたいな想いはみんながずっと抱えていて。でも、そんなことを発想しない人もいるし、そういう人が世の中の大部分かもしれない。自由がどうこう云々という問いが、そもそも今の社会には希薄なのかもしれない。

常見:それは大事。僕たちは違った。それは札幌南高校にいたから、と言っていいと思います。

岩隈:今日の対談は、結局ここに至るまでの証明だったのかもしれないね。

岡崎:僕たちは札幌南高校時代に…。

北條:「自由とは何か?」くらい考えたよね。

常見:うん。証明おわり。

(2018年9月8日 東京・赤坂にて)

プロフィール

常見陽平(つねみようへい)

千葉商科大学国際教養学部専任講師、武蔵野美術大学非常勤講師

一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了後、新卒でリクルート入社。バンダイ、ベンチャー企業、フリーランス活動を経て2015年より現職。専攻は労働社会学。『社畜上等』(晶文社)、『「働き方改革」の不都合な真実』(おおたとしまさ氏との共著 イースト・プレス)、『僕たちはガンダムのジムである』など著書多数。

常見陽平公式サイト: www.yo-hey.com

 

岩隈道洋(いわくまみちひろ)


杏林大学総合政策学部教授(保健学部兼任)、同大総合情報センター長、同大キャリアサポート副センター長、中央大学法学部兼任講師

中央大学大学院法学研究科博士後期課程(国際企業関係法)修了後、中央大学法学部兼任講師、早稲田大学人間科学部非常勤講師などを経て2017年より現職。専攻は憲法・行政法・情報法、国際法、アジア法政、法情報学。中国やトルコ、イスラム世界に至る法文化に造詣が深い

 

岡崎泰之(おかざきやすゆき)


外務省広報文化外交戦略課長

東京大学法学部卒業後、1997年に外務省入省。現職に至るまで、本省(東京)での勤務は、経済局、アフリカ部、大臣官房、国際法局、北米局、国際協力局、総理官邸、在外勤務はフィリピン大使館、OECD代表部(フランス)と、特定の分野に限らない様々な分野の外交実務を経験してきている。


 

[聞き手]
宇高大志(うたかだいし)

ITベンチャー企業勤務

2000年3月、東京大学・大学院情報理工学系研究科卒。大手都市銀行で証券化商品開発、住宅ローン債権データベースの設計・返済行動分析に従事。大手証券会社に移りM&A及び企業ファイナンスのアドバイザリー業務、中国投資企業での対日投資業務を経て、2015年、マーケティング系ITベンチャー企業に参画(現職)。成長企業への投資・支援、事業推進、財務を担当する。


 

[聞き手・取材・執筆・写真]
北條貴文(ほうじょうたかふみ)


(株)集英社メンズノンノ編集部勤務/2018年度六華同窓会会報誌編集長

早稲田大学政治経済学部経済学科卒。専門はジャーナリズム論。国内アパレル「コム デ ギャルソン」に川久保玲社長直属の人足として新卒入社し洋服以上にブラックな闇深さを垣間見る。そのネタを糧に繊維業界紙「WWDジャパン」に転職、パリコレ取材記者として4年半勤務。現在、集英社メンズノンノ編集部勤務。岡崎泰之とはハンドボール部で3年間マツヤニ漬けの汗を流した仲。