六華だより

札幌南「高校図書館デイズ」

第92号

札幌南「高校図書館デイズ」〜人と人をつなぐフィールド

成田康子(札幌南高校図書館司書)

ここが「いい場所」になっていくには

 高校図書館の仕事に就いて間もない5月。土曜日に授業が半日ある時代のこと。風に乗ってグランドからは野球部の練習の音が聞こえてくる。私は、しーんとした図書館で、誰か来ないかなと待っていた。校舎も静まりかえっている。それが何週か続いた頃。誰も相変わらず来ないのでいやな気持ちになってしまい、司書室のソファに寝転がった。そして考えはじめた。

 何かおかしくないか?

 図書館利用の案内には、開館時間が14時半までとなっている。勤務時間は12時半で終わっているのに。図書館長の国語の先生は「規則です」と言ったけれど、それをやるのは私だけのようだし……でも……なりたくて、ようやく就いた司書の仕事なのだから……もしかしたら誰か本を読みに、調べ物に来てくれるかもしれないし……。半分意地になっていた。

 けれど。ただ待つだけの仕事ではないはず。ただ開けていればいいというものでもないと自問自答する。しまいには、「こんなのは違うんじゃないか」「自分をいかすやり方がきっとあるにちがいない」と、そう思った瞬間、飛び起きて閲覧室の窓を閉めに行った。翌週からはもう、迷うことなく13時前には学校を後にした。

 図書館がお仕着せのものではなく、自分たちのものだと生徒が思えるようになるといいなと考えてやってきた。どんな図書館だったらいいのか、来たくなるのか。生徒の意見を訊きながら、任せ、望むことを支援するという方法だった。年間の貸出冊数が1万冊を超えるようになっていったのは、生徒にとって伸び伸びと自由で楽しいところになってきたからにほかならない。その学校には結局26年間勤めた。

 図書館という空間には、本があり人がいる。誰かが「この本おもしろい」と言ったら、読みたくなる。「こんな本あるよ」と私が紹介したら、読んでみようかなと思う生徒がいる。「私も読んだんだけど」と感想を言いあう。自然だ。何かに気づく。感じる。……いい場所になっていく。

 

ここは自習室なの?


『高校図書館デイズ 
     生徒と司書の本をめぐる語らい』

〜ちくまプリマー新書 筑摩書房 2017

 8年ほど前、はじめて南高の図書館に足を踏み入れたとき。いっせいにジロっと見られた、ような気がした。ドアを開ける音がうるさい、とでも言うように。勉強の邪魔をするなということなのか。そうか、ここは自習室だったのか、と思った。

 図書館には机と椅子がびっしり置かれていた。それがほとんど埋まっている。本は調度品のように見えた。ピリピリした空気が漂う。後に新入生が言うところの「まるでおばけが出てきそうな、暗くて怖い」図書館と、南高生との日々がここから始まった。

 赴任した当初、校長から「本を読ませてやってほしい」と言われた。校長室は生徒玄関前の通学路を挟んで図書館の向かい側にあるから、生徒のようすが見える。

 

かっこいい生徒がたくさん

「それじゃぁ新聞じゃないだろ」

 昼休み、入り口近く。新聞を探している。「道新はないの?」と、スポーツ面を見たいと言う。「そうなのよ~。明日の朝には職員室から持って来るんだけど……」「それじゃぁ新聞じゃないだろ」(私の耳には「~じゃねえだろ」と聞こえた)

 ラグビー部の子だったと思う。「ほんとにそうだよね!」と答える私に、変なヤツとあきれられたような気もしたが、本当にそうだな、すごいなとうれしくなってしまった。図書館に新聞がもっとあるといいな、どうにかならないかなと思っていたので、こんなにはっきりと当たり前のことを言ってのけるなんて。感動すら覚えた。

 

「うるさかったら出て行けばいいんじゃない?」

 図書館内のレイアウトや設備が少しずつ整えられ、局員の発想をいかした活動が軌道に乗り始めた頃。貸出カウンターのそばで女子生徒が二人話している。私も時折あいづちを打つ。大きな声ではなかったはずだが、どこからか「うるさいなー」という声があがった。すると、即座に「図書館は自習室じゃないんだから」と反論。かっこいい。館内は一瞬静まりかえった。堂々と自分の意見を言う。もともと自由闊達な校風ゆえだと思うが、それを歓迎する雰囲気が図書館にも芽生えてきているようだった。

 

「会話してるように書くといいんじゃないかな」

 岩波書店から高校図書館での生徒の活動を紹介する本を出すことに決まって、その語り口をどうするかと悩んでいた。本を一冊まるごと書くのは初めてだったので、困ったなー、と弱音を吐いたのを3年生の女子生徒が聞いていて、「今みたいに私と話しているように」と言ってくれた。「そうか!そうだよね」とパッと目の前がひらけた。おかげで原稿はするすると進み『みんなでつくろう学校図書館』(岩波ジュニア新書)ができあがった。自分ではわからなくなっていることを、一言で助けてくれた。図書館によく顔を出していて、本を話題におしゃべりをしていた子だ。そういえば、私も彼女の心配事に何らかの考えを伝えていた。頼り頼られる間柄も図書館では生まれる。

 

「図書館は出会いと交流の場であってほしい」

 図書館を楽しく居心地のいい場所にしよう、と彼女の言うところの〈同期〉である私も一緒に取り組んだ。彼女は全校生徒が1000人ほどいるのに、ほとんど知らない人ばかりなのはもったいないと言って、「こんなことやりたい」「こんなことできますか?」とわくわくするようなアイデアを出す。それに応えて私は、こんなふうにできるかも、とアドバイスする。修学旅行で立ち寄る台湾の高校生を迎えるため、局員総出でもてなすことができたのは、彼女の堪能な中国語によるところが大きい。図書館報「四面書架」創刊、市内のブックフェスへの参加、学校祭展示の企画などいろいろなことにトライしてみる。いつだったか私が図書館学の本を引用して「図書館は有機体」と伝えたことがある。彼女は「図書館はそこに置いてある本や来る人みんなによって毎日つくられていて、宇宙のように、今このときも、どんどん広がっていると思う」と振り返る。

 

「“ごきげんよう”がいいと思う」

 局員が活動を終えてそれぞれ図書館を出ていくとき、「お疲れさま~」と声を掛け合う習慣があった。図書館サポーター(部活動をすでに3つ掛け持ちしていたり、図書館の仕事をピンポイントで手伝いたい生徒がなる)の子が「お疲れさま、って言うとほんとに疲れてしまわない?もっと違った言い方がないかなー」と言う。自分たちにフィットする言葉を探している。数日後、「いい言葉見つけました!」「ごきげんよう、ってどうですか?」と意気込んで話す。「いいね!」「そうしようー」となり、最初は照れながら、「ごきげんようです」とアレンジされながら局員みんなに引き継がれている。

 

「図書館を見て南に決めた」

 夏の終わりだったか中学3年生とお母さんとが連れ立って図書館を訪れた。すでにもう一校の図書館も学校説明会で見ていて、図書館のようすで志望校を判断するとのことだった。新学期、挨拶に来てくれてすぐ図書局に入った。「好きなジャンルの本がたくさんあったし。古い本も新しい本もいろいろあって興味深い」と話した。向学心がめらめらしている。局の先輩に勧められて山岳部にも入部した。

 

「先輩って、格好いい」

 「同窓会(作家)の棚」があるといいなと思う。でも予算は厳しい。誰か応援してもらえないかな、と夢想していた。すると、同窓会のある期から「還暦の記念に」と手を差し伸べられる。椅子の座面はスクールカラーの古代紫。「ソファがほしいです、それも真っ赤な布張りの」との局員の希望も「セミオーダーでどうですか」とかなえられる。「先輩って、格好いい!」。OB・OGと一緒に記念の写真を撮る機会にも恵まれた。山田幸太郎先生の胸像を臨む窓近く、ソファは今日も幸運な誰かのもの。

 

□「うれしくって、ゾクゾクした。もっと興味の灯火を燃やしていきたい」 

 生徒それぞれの興味・関心や思いを図書館で発表する〈ライブ・イン・ライブラリー〉(略称ライブ・イン・ライブ「Live in Lib.」)。学校行事や定期考査・模擬試験の合間を縫って、放課後3、40分から長いときで2時間程度。広報は生徒会発行の“ミナミスト”により周知され、参加は自由。これまで通算46回開催され、のべ85名の発表者のうち(元生徒の)同窓生が14名、評判を聞きつけて地元大学から2名がトークしている。主催は図書局、私はサポートに回る。きっかけは、2014年3月に同窓生(作家・ジャーナリスト)を迎えての〈図書館フォーラム〉「一冊の本ができるまで」だった。ある局員は講演後の参加者の穏やかで満ち足りた振る舞いを「講演で得たものは知識だけではなく、そういった図書館のかたちでした。別にふだん静まり返っているわけではないのですが、ああいう活気はなかなかすばらしいものでした」と「四面書架」(第25号)で語っている。

 生徒による第1回目は「複素数~数の終着点」(3年生)。ひんぱんに数学の本を借りていくので大の数学好きと観て、交渉して実現。ホワイトボード4枚に数式、図形を書きまくり、すでに2時間過ぎている。参加者40名ほどは誰一人として席を立たない。身を乗り出して聞き入る姿もある。「誰かの心に数学の灯火をともすには〈種火〉が必要。僕も先生や友人から受け継いだ。灯火を一層強めてくれるのが本」とのこと。一冊の本が強力な着火剤になり得るというメッセージが心強い。

 タイトルリストには「源氏物語で上げる恋愛偏差値」「日本とドイツの若い人の政治参加と政治教育」「サラブレットの血統論」「居眠りできないクラシック」など。留学や各種大会での体験は参加者とのやりとりによって共有されていく。図書館というフラットな場所で、学年を越え年齢も越えた広くて深い意見交換。先輩の肩を借りて自らの可能性を拓いていく。

 

「僕は先輩の進化形!?」

 夏休み、大学2年生になった元局員たちが数人集まり後輩と話している。すると、「この子、私に似ていませんか?」と卒業生。「そうでしょ~、私もそう思ってた」。前に、『高校図書館デイズ』のここのところを読んでみて、と私が1年の局員に勧めたのはその卒業生が語っているところ。先輩の歩みがきっと後輩に力をくれる。

――彼らは考えている。考え続け、求め、欲するが答えが出ないとき。あきらめたくないのに、突然、もうだめだと崩れ落ちる。その苛立ち、不安と彷徨。思考の共通性―まるで“札南遺伝子”が存在するかのよう。

「生まれ変わりかなー」1年生

「まだ生きてるし」卒業生 

「じゃあ、進化形ですね!」1年生

軽妙なやりとりが交わされる。

 

自分が自分でいられるところ

 図書館では、ああしなさい、こうしなさいと誰も言わない。だから、自分で自分のやることを決める。自分をリラックスさせていく。自分が自分でいられるところだとわかると、「○○禁止」と貼られていない図書館の心地よさに気づく。

 いろいろなことが図書館で起きている。共感したり驚いたり、おもしろがったり。そして互いを尊重し合い、彼らはつながっていく。私も一緒になって喜んだり憤ったり、「彼らと図書館」のさまざまなことに気がついていく。

 本を読んでいる姿は自然だ。無防備とも言える。私は、カウンターにいて、顔を上げて前を見る。それぞれがそれぞれの思いで、読んだり考えたりしている。この瞬間、かけがえのないとき。……そうなのだ。ここで今、叡智が宿っているのだな、と思う。

 

人はつながっていく、未来へと

 『高校図書館デイズ』冒頭、「ここって、仕事帰りのおじさんがふらっと寄っていきたくなるような居酒屋みたいなところですねー」と登場する六花さん。彼女からメールが届いた。――就職試験に合格して東京に本社がある新聞社に4月から勤める。最終の作文試験は“月”がテーマで、先生と南高の図書館のことを書きました――とある。月と南高図書館!と私?……そうだよね、生徒はきらきら輝く太陽だから、さしずめ、ここと私は月とも言えるかなー。あれこれ思いめぐらす。

「近く帰省します。お会いできたらうれしいです。」

またひとつ楽しみが増えた。

成田 康子プロフィール


1955年北海道生まれ。
札幌月寒、大麻高校を経て2010年より札幌南高校勤務。
2004年―2015年、北海道高等学校文化連盟図書専門部事務局長。
著書に『高校図書館 生徒がつくる、司書がはぐくむ』(みすず書房)、
『みんなでつくろう学校図書館』(岩波ジュニア新書)ほか。

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