六華だより

後期高齢者の自動車運転環境とその危うさ

第92号

後期高齢者の自動車運転環境とその危うさ

前川 勲 (南6期)

 

 「高齢者の自動車事故」のニュースが連日報じられている。登校途中の幼い子供たちの列に、横断歩道を歩いている人に、ベンチで休んでいる人の中に「悪魔の襲撃」のように車が突っ込んでくる。まるで悪夢を見るような思いである。「ブレーキとアクセルを踏み間違った」という言い訳はもう聞き飽きた。

 後期高齢者は、自動車の運転免許書の更新に際して「認知症検査」を受けることが義務付けられている。かく云うわれわれ南高六期生も傘寿になり「講習会」を経験している。

 個人的には、検査結果は百点満点であった。しかし視力(動態視力)にはやや自信がなくなってきたのでなるべく夜の運転は、避けるようにしている。

 それぞれの人たちの事情によって自動車を利用せざるを得ない様々な事情があるに違いない。比較的交通事情が良い都会と車がなければ生活を維持出来ない地方とを同一に論じることは出来ない。だが、いかなる事情があったとしても自動車事故を起こして罪のない他人の命を奪ってしまうことは、許されることではない。 

 七十五歳を過ぎた人は、長い間運転を続けてきた人といえる。それ故に自分の運転に自信があり「自分が事故を起こすはずがない」という妙な自信があるのではないだろうか、という指摘もあながち間違いではないのかもしれない。 

 では、この問題の解決方法はあるのだろうか。高齢者が運転しても安全な自動車を開発する。端的にいえばアクセル機能とブレーキ機能を別にして「ペダルは、ブレーキのみ」とするなどが検討されている、と聞く。また前方に障害物(人)があると自動的に車が止まる機能が開発され、一部は現実化している。

 だが、これは絵に描いた餅のような気がする。車の値段は如何程になるのか、この新車に誰が乗るべきか、それを誰が、どう判断するのなどの問題がある。この考え方は、話しとしては面白いがどうも現実的ではないように感じられる。 

 当たり前のことだが「運転・不適格者」を早期に見つけ出すことこそが最初に取り組むべき課題である。このために「免許更新時の認知症検査」が位置付けられていること自体は、評価に値する。しかし、実際の検査を受けた経験からいえば、この検査内容で運転不適格者を「早期に発見する」のは、些か無理であると考えざるを得ない。

 講習内容を立案したのが誰かは分からないが、認知症に関する専門家の意見が本当に反映されているのだろうか、との疑問を持たざるを得ない。

 検査内容は「長谷川式」と云われるごく一般的に行われている「認知症検査」の一部を変更した内容である。これは主として「記憶障害」の発見を目的とした内容である。恐らくわが国でもっとも頻度の高い「アルツハイマー型認知症」の早期発見を目的に作成されたものであろう、と推定出来る。だが、早期に運転能力の低下を見つけ出すには「記憶障害のチェック」だけではなく「行動障害のチェック」が重要であると考える。いかにして「行動障害」を早期に発見するか、という検査内容を早急に検討し、新たな審査方法を作成すべきである。

 認知症は、「アルツハイマー病」、「レビー小体病」、「前頭側頭型認知症」、「血管性認知症」の四つのタイプに大別される。疾患別にみた運動機能の変化や行動の特徴が「老年医学会」からすでに報告されている。そして、上記の認知症の原因疾患によって運転行動の不具合には、それぞれ特徴があることが明らかにされている。

 アルツハイマー病では「運転中に行き先を忘れる」・「駐車や幅寄せが下手になる」。

 ピック病(レビー小体病)では「注意・集中力の変動による運転技術のむらがある」。

 前頭側頭型認知症では「交通ルールの無視」・「運転中のわき見」・「車間距離が短くなる」。

 血管性認知症では「運転中の注意散漫」・「ハンドルやギアチェンジ、ブレーキペダルの運転操作が遅くなる」、などの指摘がある。

 この結果から予想されるとおり、実際の事故の頻度は「前頭側頭型認知症」で高率であることが報告されている。この指摘は極めて重要であり、ぜひ実際の検査に生かされて欲しいものである。

 七十五歳以上の高齢者講習会では、これらの認知症の特徴を把握する検査内容の設問がなされるべきである。繰り返しになるが、記憶障害が先行する「アルツハイマー病」の発見に重点が置かれた検査内容ではなく「その他の認知症」をも把握することが出来る検査内容で行われることが望ましい、と考えられる。

 これまでは、検査の結果がどうあれ結果が本人に渡された。この検査の結果は、直接「免許交付」を制限するものではなかったが、平成二十九年度から道路交通法の一部が変更された。

 変更後、講習会の結果判定は、総合得点「100点、満点」として評価される。「正解76点以上を認知機能のおそれなし(第三分類)」・「49点以上~76点未満を(認知症のおそれあり=第二分類)」・「49点未満を(認知症あり=第一分類)」の三段階に分類される。

 現在の判定基準が今後どのように変更されるのかは分からないが、この分類は、あまりにも大雑把であると感じられる。特に「総合得点で判定される」ことに問題はないのだろうかとの疑問を持たざるを得ない。

 法改正後「第一分類者」は、医師の診断を受けて「運転可能か否か」の診断書が必須となる。確かに「第一分類者」を運転困難者と判定することは、多くの人が納得する判定である。

 だが問題は「第二分類・第三分類」と判定された人たちの中で事故を起こしやすい人を選別することが本当に出来るかどうかである。

 「記憶障害」ではなく「行動障害」が前面に出ている「前頭側頭型認知症」や「レビー小体型認知症」では「第二・三分類」との判定結果であっても事故を起こす可能性は否定出来ない。

 その点からも現在の「免許センター」で行われている判定システムで「行動障害」の早期判定が可能かどうかを法律施行後にも引き続き検討し、その結果が検証されなければならない。

 これまでは、実際に事故を起こした後に「認知症の疑いあり」とされた人は、医者(専門家?)の診断を受け、運転の可否を判定される運びであった。今後は、前述のように事故とは関係なしに「第一分類」との判定を受けた人は医師の診断書が必要となる。では、誰が「その診断」に当たるのかも大問題である。

 平成二十七年の統計では、臨時適正検査対象者の中で運転可能かどうかの判定のために受診する患者数は、約五万人程度と増加することが推計されている。

 「判定医」を増員するために現在「認知症サポート医」の資格を持つ医師を増すという政策が進められており、今後は運転可能かどうかの診断書の記載が「サポート医」の役割になりそうである。さらに「サポート医」以外に「かかりつけ医」の役割が議論されているが、果たして対応出来る医師が如何程いるのかは、疑わしい。

 とりわけ「運転の可否」を決定する明確な診断基準が示されていないまま、その役割を押し付けられることになっては、多くの医師は診断に「二の足を踏む」ことになるのは明らかである。

  「運転可能」との診断を受けた。その後にその人が「人身事故」などの大きな事故を起こし、被害者からの訴訟になった。この場合「診断した医者の責任」として「刑事訴訟」では不問にするとの取り決めがなされていることは、一定の評価に値する。しかし「民事訴訟」については、取り決めはない。事故が「民事訴訟」対象となった場合には診断医側が「敗訴」となる可能性がある、と予想されている。

 このような訴訟事例が起これば、当然「診断書を記載する」ことを躊躇する医師が増えることが予想される。また、診断のための診療を医療保険の対象とすることが妥当かどうかも問題である。

 日本医師会が中心となって「運転免許の許可・不許可」の診断基準(ガイドライン)が検討されていたが、先日「ガイドライン」が発表された。しかし病型別の明確な「診断基準」は示されておらず、この内容では適切な判定が出来ないと思われる。

 自分は、職業上「運転の可否」を診断する立場にある。一方、自分もまたその診断を受けなければならない年齢である。このことを考えると、より納得のゆく妥当な「判定基準」の内容に変更されることが望ましい、と思わざるを得ない。

 

前川 勲プロフィール

修彰会・沼崎病院会長

北海道大学医学部卒業、同大学院修了(医学博士)

同大学医学部講師、市立旭川病院副院長、定年退職後、修彰会・沼崎病院に勤務、平成20年会長、現在に至る