六華だより

海外を意識しての技術開発と教育研究の軌跡

第92号

海外を意識しての技術開発と教育研究の軌跡

   頂点を目指しての研究テーマを後輩に期待

谷口 博(中53期)

1. 卒業して企業での開発研究に携わって

 1947年に旧制札幌一中を4年で修了し、旧制北海道大学予科に入学し1953年に工学部機械工学科を卒業している。三菱日本重工に入社して横浜造船所勤務となったが、我が国の技術レベルは欧米より約10年?遅れていたので、米国から技術導入して新機種の開発設計を行っていた。まず、技術提携によるノウハウを勉強して新旧社員の別なく意見交換を行い、全員が揃って残業々々の毎日を送っていた。しかし、技術提携の良さは、過去技術にない新しい技術情報に接することであり、我が国の企業における年功序列が崩れて、実力本位の仕事ができることであったと言えよう。

 入社5年目に開発設計を担当した戦後初めての陸上機器を台湾糖業公司から受注して、先輩を差し置いて現地調査のため海外に出張することになった。何故ならば、先輩の案に比べて製造工場での合理化が可能な案であり、受注コストの低下となるから採用されたと聞いている。また、三菱グループにより「米国IBM650大型コンピュータ」が輸入され、我が国で最初のフォートランによる設計ソフトを開発することになり、1ヶ月を要した開発設計が入力後に数分間で済む予定であったが、その仕事を後輩に託して北海道大学に助教授で戻ることになった。

2.北海道大学での教育研究に携わって

 大学の最高学年である博士課程では、北海道大学の規定で各教授が毎年1名(学部教育のない教授は5名程度)の学生受入が決められていても、必ずしも守られておらず学生の充足率が50~60%程度であった。筆者は、教授に昇任した2年後(修士課程の在学期間に相当)の1981年から1994年までの13年間に、12名を博士課程に受け入れて「規定の3年で全員博士学位を取得」させている。筆者の研究室の博士課程で学位を取得した学生は、全て在学中に行く先が決まっていたので、学生の不安はなかったと言えよう。また、1名足りないとしても、その間に9名の論文博士を指導しているので、許して頂けると思うが、如何か。

 博士課程の研究テーマとしては、「メダカの群れ」とならないよう「将来を見据えて」「前例のない」テーマを選んでいたので、科学研究費の審査員は理解できず、教授に在職期間中の申請は全て却下されてしまう。しかし、多くの企業から「奨学寄附金」(次年度に繰り越し可、食費を除き使途に制限なし)を受けているので、研究室の教職員全員を海外出張させることができ、大学院学生の国内研究発表の旅費を全員に支給することができた。その頃、米国テキサス大学ハウエル教授が出版した著書に中で、筆者の研究テーマが紹介されており、海外を相手とする国際会議に力を入れることにした。

 また、米国の学会からも認められAdvances in Heat Transfer Vol.27にRadiative Heat Transfer by the Monte Carlo Methodとして出版されたが、通常は2~3テーマを一冊にまとめており、このように1テーマが独占した例はなかったようである。我が国でもコロナ社から相談があり、「パソコン活用のモンテカルロ法による放射伝熱解析」として出版されると、研究室の後任教授の申請した科学研究費が採択されるようになった。すなわち、「優れた研究成果は海外経由で認められる」との悪しき慣例が露呈したと思っている。

3.北海学園大学での教育研究に携わって

 北海道大学の定年退職後に、北海学園大学で博士課程が創設されることが決まり、工学部建築学科の教授として赴任することになる。ただし、博士課程の担当教授は「文部科学省の厳しい審査」に合格する必要があり、著書・学会論文・学会発表の順で申請書に記載したので、教育成果でもある著書に重点が置かれていたことになる。従って、大学院でも「研究教育」ではなく「教育研究」であると文部科学省が考えており、後日になり頂戴した叙勲・瑞宝中綬章の受賞理由も「教育功労」と記載されていたので、大学・大学院では教育を疎かにせず勤務することが必須条件であると言えるであろう。

 私立大学に移って気付いたが、大学院修士課程・博士課程の学生が少ないことであり、1994年からの9年間の勤務中に博士課程に学生2名を受け入れて、3年間で学位を取得させたが他の研究室に比べて多い方であった。意外なことに、教授・助教授が国際会議で研究発表をすると旅費が大学から支給されることであり、北海道大学などでは見られない措置であった。また、大学学院学生にも国内学会発表の旅費が大学から支給されているので、北海道大学などと比べて研究室の負担が軽くなることが分かる。

4.国際会議に出席して

 数多くの国際会議に出席させて頂き、米国・中国・韓国・トルコ・インドなどにて大学教授と教育研究交流を行うことができた。米国ニューオリンズ市では、国際会議が終わりレストランにて食事中に日本企業の友人が鞄を盗まれ、パスポートが無くなり帰国できなくなった。懇意にしている米国大学教授に相談して、警察に電話して貰い路上に捨てられていたパスポートを回収して頂くことができたので、日本領事館より「米国大学教授は頼りになる」と言えるかもしれない。

 中国には、お世話した留学生がいるので研究交流を続けており、ある留学生は100年後には中国が世界一になると言っていたのに、最近の情勢ではもっと早く世界一になりそうである。従って、我が国も負けないよう、互いに得意な分野を携えて科学技術の振興に努める必要があるので、まず大学教授による大学院の正常化(最高学年である博士課程学生の充足)が期待されるであろう。「温故知新」の諺どおり、文明開化の途を切り開いた先人に学びながら、先に進もうではありませんか。

5.決まりを守って先に進もう

 2002年から始まった、経済産業省と北海道庁によるエネルギー環境教育を最初から担当しており、その一部として取り上げたのが「決まりを守って先に進もう」であり、種々の分野で我々が決まりを守ることによって、大きなトラブルを防いできたことを知るならば、社会の秩序を維持するための知恵であると訴えたかったのである。すなわち

①義務教育での問題(誤った非行記録の例)

  非行指導の省略→非行記録の誤記→誤記の放棄→生徒が悲観自殺

  非行指導の実施→正しい非行記録→正しい指導→生徒進路が決定

②大学教育での問題(大学院博士課程の例)

  学内規定の無視→学生入学を阻止→研究室の衰退→学生進路が狭まる

  学内規定の順守→学生定員を確保→研究室の繁栄→学生進路が広がる

③産業界での問題 (設計業務の例)

  図面の期限に遅れる→生産計画が狂う→品質の低下→顧客が離れる

  図面の期限を必ず守る→生産計画の確保→品質の向上→顧客の確保

④官界での問題  (コーディネーターの例)

  業務規程の無視→記録の作成放棄→相談効果が不明→相談者が減少

  業務規程の順守→記録を必ず作成→相談効果が明瞭→相談者が増加

⑤重大事故での問題(原発事故の例)

  核関連の安全対策→既存規定の無視→安全弁・防爆の不備→事故発生

  既存規定の順守→安全弁・防爆を考慮→核関連の安全対策→事故回避

となることを知るならば、決まりを守って先に進みたいので、このような取り組みを大切にしておくようお願いしておきたい。

 

 

谷口 博 (旧姓本郷) プロフィール


旧制最終期 一中53期4年修了

北海道大学名誉教授、中国 浙江大学名誉教授

元北海学園大学教授、元米国ミシガン大学・

カリフォルニア大学・韓国全北大学Visiting Professor