六華だより

南高の十五年間〜恩師からのたより

第96号

川口 淳(元札幌南高等学校長)

はじめに

 私が南高に赴任したのは昭和六十二年四月で、二十八歳のときです。教諭として十二年間勤め、平成十一年三月に行政機関に転出しました。平成二十八年四月、十七年ぶりで校長として戻り、三年間勤めて平成三十一年三月末に退職しました。南高では、教諭として担任を持ち、数学を教え、進路部に所属し、バドミントンの顧問をするほか、校長として様々な経験をさせていただきました。この十五年間は私の人生の礎になっています。少し振り返ってみたいと思います。

南高の教諭のとき

学級担任のこと

 南高に赴任した年に一年生(南四十期)の担任になりました。夏休み前まで余裕のない状況で、慌ただしい日々を送ったような気がします。学級日誌には個性が溢れていました。バビ語を使ったり、小説を書いたり、社会の出来事に対する意見を述べたりするなど、読んでいて面白かった印象があります。三年間担任した後に南四十二期の副担になり、その翌年から南四十四期、四十七期、五十期の学年の担任をしました。生徒が様々な活動を通して成長するとともに、私自身も多くのことを学ぶことができました。

行事のこと

 南高は行事を大切にしてきました。旧校舎の学校祭は、教室が一変するほど木材やベニアを多量に使っていましたが、その装飾の素晴らしさもさることながら、生徒の学校祭にかける情熱に驚かされました。ロードハイクでは真駒内公園から滝野スズラン公園までや、野幌森林公園を抜けて百年記念塔までの約十キロを歩き、遠足ではよく蘭島に行きバーベキューをしましたが、生徒間の交流が深まる行事でした。野球部が強くなり、甲子園に出場する数年前から全校応援する機会が増え、土砂降りの中で応援したこともありました。歴史ある雪戦会は一度復活しましたが、雪不足のため最後となった平成三年度はメディアも取材にきて、ニュースでも話題になりました。

数学のこと

 授業はできる限り生徒に問題をあてて、生徒が黒板で解答を書き、生徒が解説し質疑応答する形をとりました。教科書の表現の誤りを指摘する生徒、常にノーマルでない解き方をする生徒、業者の添削問題を持ってくる生徒、中には私を試すために授業中に大学入試問題を質問する生徒もいましたが、私にとっては刺激があり大変勉強になりました。昼休みや放課後になると生徒がよく質問に来ました。特に、週五日制以前の土曜日は午前授業で、午後は質問に来る生徒に応じていました。問題集はオリジナルを使っていましたが、もともと解答書がないので、生徒も学習に苦労したと思います。

進路部のこと

 十二年間進路室に常駐していました。当時は生徒の進学先は自分で考えるという気風があったような気がします。南高独自の実力テストは定着しており、先生方も問題作成には力を入れていましたし、生徒も実力テストに重きを置いて臨んでいたと思います。成績処理は市販のソフトを使わず、C言語でプログラムを作成し、大学入試センター試験でも使っていました。今では考えられないほど手間がかかっていました。

バドミントン部のこと

 私は高校時代からバドミントンを続け、教員になっても指導に携わってきました。南高でも顧問をしましたが、なるべく同じ練習をしないように毎日練習メニューを変えていました。中でも、木材や電球を使ってフットワークマシンを製作するなど、フットワークの練習メニューは数多くありました。夏の合宿は毎年厚真町で行い、他校と合同で七十人の生徒の練習プログラムを組むこともありました。生徒は強くなりましたし、全道大会などで他校と交流する機会が増え、指導していて楽しさや面白さを感じました。

南高の校長のとき

校長として

 教諭のときは自分の好きなように仕事をしていましたが、南高の校長となると、校内だけでなく、校外にも目を向ける必要があり、その重さを感じていました。しかし、教諭だった頃の生徒が本校の教員や保護者になっており、多少驚くとともにほっとした気持ちになりました。また、学校祭や六華ゼミ、六華同窓会などの機会に多くの卒業生に会いましたが。昔のことが思い出されて懐かしく思いますし、卒業生が社会人として活躍している姿を見ることができ、南高に来て大変よかったと思っています。

南高生のこと

 南高は昔も今も、優秀な生徒が入学してくること、「自主自律」と「堅忍不抜」の精神を大事にすること、文武両道を実践していることに変わりはありません。ただ、社会が急速に変化し、個性化や多様化という言葉がよく使われますが、現実は自由さが少しずつなくなり、人々の価値観の均一化が進んでいて、人と異なる考え方や行動を避け、新たな挑戦には積極的にならず、安定志向の傾向が見られるような気がしています。南高のよさは、豊かな個性や多彩な才能を有する生徒が集まり励まし合い競い合っているところ、人と考え方や価値観が違っていても互いにそれぞれの個性や才能を尊重しているところにあると思います。

卒業生のこと

 卒業生にお話を伺うと、大学卒業後に就いた職業にやりがいを見つける、自分の考えがあって転職や起業を経験する、自分の趣味を生かしやりたいことを仕事につなげるなど、生き方はそれぞれです。自分が何をしたいのかを真剣に考える時期があったと思いますし、様々な苦難を経ながらも社会人として活躍しています。その姿を見て、頼もしさと六華の気品を感じています。

札幌龍谷学園高等学校のこと

 平成三十一年四月から校長として勤めています。コース制の導入、iPadによる情報教育の推進、土曜日授業や勉強合宿、部活動の活性化など、私立ならではの特色があります。そうした中、生徒には、社会で活躍するために自分で考えることの大切さをお話ししています。このため、「総合的な探究の時間」では生徒一人ひとりが課題探究に取り組み、授業では考えさせる機会を多く作るよう工夫し、行事は生徒の考えを生かし活躍する場面を作るなど、徐々に浸透させていきたいと考えています。

むすびに

 今回、南四十四期の池田望さんと加藤洋介さんから、六華だよりに掲載するお話しをいただきました。同窓会会員の皆様に心から感謝しています。私自身振り返る機会になりましたし、書いていて懐かしさがこみ上げてきました。今後も、会員皆様のご尽力により、これまで築かれてきました六華同窓会の精神が受け継がれていくことをご期待申し上げますとともに、会員皆様のご健勝と六華同窓会のますますのご発展を念願いたします。


川口 淳 プロフィール

1959年旭川市生まれ。幼少期から中学校卒業まで比布町、鷹栖町、美瑛町で過ごす

81年筑波大学第一学群自然学類卒業

83年筑波大学大学院修士課程教育研究科修了

87年4月〜99年3月北海道札幌南高等学校教諭北海道教育庁新しい高校づくり推進室主査、北海道野幌高等学校教頭、北海道美唄尚栄高等学校校長、北海道立教育研究所研究相談部長、北海道岩見沢緑陵高等学校校長などを経て、2016年4月〜19年3月北海道札幌南高等学校校長

18年11月文部科学大臣表彰(学校教育振興功労者)

19年4月札幌龍谷学園高等学校校長(在任中)