六華だより

女子刑務所物語

第96号

細川 隆夫(南38期)

はじめに (北海道の刑務所と収容状況)

 私は、昭和633月に札幌南高校を卒業し、平成30年余りの大半を東京で暮らしましたが、念願かなって、昨年4月から法務省札幌矯正管区第二部長として勤務しています。札幌矯正管区は、北海道にある刑務所・少年院・少年鑑別所などの矯正施設を監督する機関で、第二部は刑務所や拘置所の被収容者に対する警備・処遇全般を担当しています。

 北海道には、収容定員の大きい順に、札幌刑務所(2515名)、月形刑務所(1844名)、網走刑務所(1600名:面積なら日本最大)、函館少年刑務所(948名)、帯広刑務所(502名)、旭川刑務所(500名)の6つの刑務所があり、さらに、札幌刑務所が所管する札幌刑務支所(508名)と帯広刑務所が所管する釧路刑務支所(321名)の2つの刑務支所があります。

 ここのところ、刑事施設(法務省が管理する刑務所や拘置所)の被収容者数は減少が続いています。凶悪事件や芸能人の薬物使用による逮捕事件の報道などで、いわゆる体感治安は悪化しているのかもしれませんが、平成18年末に全国で81千人を超えていた収容人員が、令和元年末の速報値では48千人台にまで下がり、北海道に限っては44百人弱、収容定員に対する収容率で約47%という状況です(しかも、相当数の受刑者が東京・関東方面から移送されていてこの数値です)。

 私は、現在は監督機関で勤務していますが、札幌に異動する直近の2年間は、岐阜県にある笠松刑務所という女子刑務所の所長を務めていました。このたび、光栄にも、本稿の執筆を御依頼いただいたので、限られた誌面ですが、知られざる()女子刑務所の実情を御紹介しようと思います。

 笠松刑務所(岐阜県羽島郡笠松町)は、創設70年を越える歴史があります。

 左は所長室に掲げられている歴代所長の写真から私の部分だけを撮影したものです。

 最近は、1年だけの勤務となる所長が多い中で、2年間勤務できたことは幸せでした。

女子刑務所の特徴 (女性なら誰でも入ります)

 総務省統計局によると、令和元年12月の我が国の人口の男女比は、(たぶん平均寿命の差を反映して)およそ4951となっています。一方、刑事施設人口はどうかというと、約「928」です。要するに、遵法精神に乏しい人は圧倒的に男性が多いってことですね。ここ10年余りで被収容者数が激減したことも勘案して、最近は、いくつかの刑務所を廃庁にしたり、支所にしたりすることが進められています。それでも、令和2年時点では、奈良県を除く全都道府県に最低でも一つの刑務所がありますが、女性の受刑者はとても少ないので、彼女たちを収容する刑務所は、全国各ブロックに一つか二つしか設置されていません。北海道では、上述の札幌刑務支所が唯一の女子施設で、私が勤務した岐阜県の笠松刑務所もその一つでした。

 「女子刑務所はどういう特徴があるのか」という質問に簡潔にお答えするなら、「犯罪傾向の進度に関係なく、女性なら誰でも収容する」ということになるでしょう。拘置所で実刑が確定した男子受刑者をどの刑務所に移送するか決める際に、まずもって、その受刑者の犯罪傾向が進んでいないか(A指標)、進んでいるか(B指標)がポイントになります。刑務所に初めて入る者はA指標と判定されることが一般的ですが、暴力団関係者などでは初入でもB判定となります。男子刑務所は、基本的にAとBは別施設なのですが、数が少ない女子刑務所では、初入の受刑者と服役経験10回超の「ベテラン」が机を並べていたりします。

 札幌在住OB・OGの皆さんが、何かの間違いで刑務所の門をくぐることになってしまったら、女性は札幌刑務支所に入る可能性が高いでしょう(同所は女性の被告人も収容しています)。一方、男性の場合、札幌拘置支所を経て、B施設の札幌刑務所ではなく、別の施設に移送されると思われます。暴力団関係受刑者に怯えながら受刑することはありませんが、御家族との面会は遠くて大変かもしれませんね(なお、男女とも本州にある官民協働運営の刑務所に移送になる可能性もあります)。

 さて、下のグラフは、少し前の笠松刑務所の受刑者の刑期と罪名を表したものです。男子刑務所では長期刑(無期懲役や執行刑期10年以上の有期刑)の受刑者は特定の施設で処遇しますが(北海道では旭川刑務所が該当します)、女子刑務所では刑が短い者と無期懲役を含む長期刑の者を一緒に収容しています。私が所長だった2年間、笠松刑務所の無期懲役受刑者は12名で変動はなく(入所、釈放、死亡のいずれもなし)、最古参の受刑者は平成元年の収容でした。

 次に罪名を見ると、覚せい剤事犯者の割合の高さが目立ちます。女子受刑者は男子と比較して薬物事犯者の割合が高いですが、当時の笠松刑務所では、常に4割ほどが覚せい剤取締法違反の受刑者で、再犯者の割合が高い状況でした。3番目に多いのが殺人罪というのも女子刑務所らしい特徴といえます。男子刑務所では、傷害や強盗の割合が高まりますが、女子刑務所ではあまりいません。「殺人犯」などと聞くと、凶悪な人物像が思い浮かんでしまうかもしれませんね。人命を奪うという重大犯罪を擁護するつもりは毛頭ありませんが、笠松の殺人罪の受刑者は、被害者が家族や愛人などの近親者であり、それ故に強い葛藤を抱えている者も多かったです。ほとんどが刑務所に初めて入所してきた者で、他の罪名の受刑者のように、未成年時代から少年院を経験しているような者はいません。精神状態が不安定な者もいましたが、むしろ、長い刑期を務める中で、職員から一定の信頼を得ていた者も多かった印象です。 

私の受刑者観を変えた女子受刑者(初めて温かい気持ちになれた!)

 笠松刑務所での2年間は、私のそれまでの「受刑者観」を覆すものでした。現場経験の少ない私ですが、それでも刑務官として、府中刑務所で2回、東京拘置所で1回の制服勤務を経験しています。府中刑務所には、多くの暴力団、片言の日本語さえ通じない外国人、そして、新幹線や飛行機での護送が難しい状況の者など、ありとあらゆる処遇困難者が集まっていました。当時の私は、主に受刑者の反則行為を調査(取調)して、懲罰という行政罰の執行につなげる業務をしていました。東京拘置所での担当は、被告人や死刑確定者が施設の措置を不服として提起する訴訟(いわゆる国賠など)について、行政庁の代理人として応訴対応する業務です。私が向き合う被収容者は、誰もが施設や職員に対決姿勢であり、私の日常も「日々是闘い」でした。正直に白状すれば、受刑者の改善更生を考える余裕などはなかったと言わざるを得ません。

 所長として赴任した笠松刑務所では、暇さえあれば、日々の刑務作業や職業訓練、改善指導の様子を現場まで見に行ったものです。それらに真面目に取り組んでいる女子受刑者たちの様子は、これまで私が対峙してきた男子の被収容者とは雰囲気がずいぶん違っていました。受刑者に対しては男女限らず、どの刑務所でも職業訓練や改善指導を実施しています。それに応えて真剣に罪と向き合い、改善更生を誓う者も数多くいることは頭で理解していても、それまでの私には、そのような真摯な受刑者の様子を目にする経験がありませんでした。しかし、笠松で2年間を送る中で、初めて受刑者の健全な社会復帰を本心から願う気持ちが芽生えたのです。刑務官として大事な「温かさ」を教えてくれた笠松の素晴らしい職員たち(その多くは女性です)、そして、受刑者たちにさえ(こちらは全員女性です)、感謝の気持ちが湧き上がってくるのです。

 

出所者からの手紙(いろんな「ドラマ」にあふれてました)

 笠松では、数多くの施設参観に対応しましたが、見学者から「女子受刑者は男子受刑者とはどう違いますか?」という御質問をいただくことがよくありました。重要な点として、深刻な被害体験(DVや性被害など)を有する者が少なからず存在し、それが犯罪の遠因となっている可能性もあることなどを説明していましたが、場が和んでくると、「女子受刑者はよく泣きます」と答えていたものです。男性と比べ、「人懐っこくて淋しがり屋、おしゃべりが大好き」といったところでしょうか。

 共同室(6名定員)での受刑者間の人間関係に耐えきれず、泣きながら職員に「部屋替え」や「工場替え」を訴える、反則行為を摘発されて泣きながら謝る(あるいは「やってません」と泣いて抗議する)ことは日常茶飯事でした。年に1度の子供合唱団による刑務所コンサートでは、多くの者が目頭を押さえながら聞いています(笠松の受刑者の半分以上は母親でもあります)。職業訓練の修了式で、熱心に指導をしてくれた外部講師の祝辞に涙をこらえきれない者、週1回実施する仮釈放式では所長である私自身が私服に着替えた出所者たちに最後の訓示を述べますが、月に1回ぐらい(?)は大泣きする者がいました(貴女の帰りを待っていた家族への感謝を忘れず、自尊心を持った健全な社会人になるんだよ、という当たり前のことを毎回言っているだけなのですが)。いずれも男子刑務所ではあまり見られない光景です。

 私のほうが感動したこともありました。出所前の受刑者は最後に感想文を書きますが、職員への暴行や自傷行為を頻発するなど荒れた生活を送っていた者が、職員の名前を挙げ、「○○先生、迷惑掛けっぱなしの私を見捨てないでくれて、ありがとうございました。最後に○○先生の工場に引き取ってもらえた私は幸せでした。二度と笠松に戻らないよう、先生の優しさを忘れず、外の世界で必死に生きていきます。」などと書いているのを読むと、思わずジーンとさせられてしまいます。

 出所した元受刑者から、職員宛(大半は、彼女が働いていた工場を担当する女性職員で、学校でいえば口うるさい学級担任といったところです)に手紙が届くこともあります。「△△先生、お元気ですか?1年前までお世話になっていた××です。忘れてないよね?」その後に続く内容は様々です。「いい仕事を見つけてがんばってます!」という明るい内容もありますが、どちらかというと「毎日が辛くて淋しいです。また、△△先生に思いっきり叱ってほしいなあ・・」とか「中学生の息子が私と口をきかなくなりました。何一つ母親らしいことをしてこなかった報いですよね・・」とか「笠松は厳しくて超サイテーの世界と思ってたけど、今、社会の厳しさを痛感しています・・」などと何らかの悩みを抱えた手紙のほうが多かったように思います。当時の笠松の受刑者の平均年齢は、ほぼ私自身と同じで(49歳から50歳ほど)、一方、「先生」と慕われている女性の工場担当たちは平均すると30歳代前半ぐらいです(男子刑務所の担当よりも若年の職員が多いと思います)。

 笠松では、当時、受刑者が発信する信書(手紙)と受け取る信書の合計で、年間4万通近いやり取りがなされていました。そのすべてについて相手方や文面を検査するのですが、実務上、所長の私が目を通すのは、発受信を認めない(禁止)、あるいは問題のある箇所を黒塗りにする(抹消)不利益処分をしようとする手紙だけです。禁止になる手紙で圧倒的に多いのは、出所したばかりの元受刑者から中にいる者に送ってくるものです。「●●ちゃん、◎◎だよ!笠松の夏は灼熱地獄だと思うけど、元気?いい子にしてたら、たぶん年内に仮釈もらえるよね。▲▲も近くにいるので、●●が出てきたら、名古屋で女子会やろうね。アタシの新しい携帯は090-・・・連絡待ってまーす!」詳細には述べませんが、元受刑者から届いたこのような内容の手紙は、一般的には禁止され、受刑者である●●には交付されませんが、一方で廃棄を強制することもできないので、●●が希望すれば、釈放時に交付せざるを得ません。それまでに◎◎や▲▲が逮捕されていなければ、笠松出所者による女子会が開催されたのかもしれません。

 しかし、数は少ないですが、元受刑者からの手紙に胸を打たれたこともありました。釈放されて間もない年配の元受刑者が同じ工場で就業していた初犯の若い長期刑受刑者に送ってきたもので、おそらく自分の手紙が相手方の釈放時まで交付されないことを承知していたようです。おおよそ以下のような内容だったと記憶しています。「○○、あなたが笠松を出て、この手紙を読むのは一体何年先になるのか・・きっと、その頃には私はこの世に生きていないでしょう。あなたは、これから気の遠くなるほど長い年月を厳しい笠松で暮らさなければなりません。刑務所には、人の足を引っ張る者がいっぱいだけど、そういう連中にはかかわらず、一日も早く仮釈放がもらえるよう、被害者への贖罪の気持ちを忘れず、真面目に刑を務めるんだよ。△△先生も、そのうち担当を替わってしまうだろうけど、どうしても困ったときは、自暴自棄になったり、一人で抱え込んだりせずに、そのときの工場の先生に相談して助けてもらうんだよ。私は、残り少ない人生を真っ当な人間として生き続けていくため、○○のこと、死ぬまで忘れないよ。元気でね、さようなら。」

 現在の札幌矯正管区の執務机です。札幌南高校と笠松刑務所の思い出の品に囲まれて仕事をしています。

 

【写真右】札幌南高校甲子園出場時のメガホン(上に乗っているのは笠松町のゆるキャラ「かさまるくん」)

【写真中央】笠松の刑務作業で受刑者が制作してくれた七宝焼の表札(ちゃんと代金は払っています)

【写真左】六華同窓会のマグカップ

【写真奥】札幌南高校の校訓(堅忍不抜・自主自律)が書かれたタオル

おわりに(再犯防止に向けて:地域社会との共生)

 平成28年に、「再犯の防止等の推進に関する法律」が施行され、再犯防止は法務省のみならず全政府的な重要課題と位置づけられました。同法では、国だけでなく、都道府県及び市町村の努力義務として「再犯防止推進計画」を策定することが規定されるなど、最近の私どもの業務は地方自治体の御担当者にお世話になることが増えています。

 そんな中で、令和2年度から、北海道唯一の女子刑務所である札幌刑務支所では、民間の知見を活用して、従来の薬物依存離脱指導とは一線を画す新たなプログラムを始め、特に再犯率が高い女性の薬物事犯者の再犯防止に努めていく予定です。また、道東に所在する帯広、網走、旭川の各刑務所では、施設が所有する農場で就業する予定の受刑者を本州から移送し、近隣での「援農」や出所後の「就農」を視野に入れた取組を本格化します。これらは全国各地で行われている様々な再犯防止施策の一部に過ぎませんが、いずれも刑務所だけの努力では到底実現できないことは共通しているように思います。受刑者の多くは、いずれどこかの地域社会に帰っていきます。健全な社会人として定着するためには彼ら・彼女ら自身が努力すべきことは当然であり、その意欲を喚起して出所させることは刑務所の重要な役割ですが、元受刑者が住居や正業を得て、健全な社会生活を継続していくことは容易ではありません。

「被収容者が真に社会復帰を果たすためには、社会の理解と協力が必要不可欠であることを認識し、矯正施設が地域社会に受け入れられるよう、組織として地域社会の発展に貢献するとともに、職員一人ひとりが社会的な視野を広め、地域社会の一員として信頼を得られる存在となるよう努める。」

これは、平成26年に策定された8項目からなる「矯正職員の使命」から「地域社会との共生」の部分を抜粋したものです。再犯防止による安全・安心な社会の実現は遠い道のりですが、矯正職員の一人として微力ながら精進してまいります。

 札幌刑務支所に新設したビニールハウスです。新しい薬物依存回復プログラム対象受刑者の刑務作業は、このハウスでのイチゴ栽培などを予定しています。


細川隆夫(ほそかわ・たかお)プロフィール

昭和44年、札幌市生まれ。札幌南高校、東京大学法学部を卒業し、法務省(矯正局)採用。府中刑務所、法務省大臣官房人事課、矯正局総務課矯正調査官などを経て、平成29年4月笠松刑務所長。平成31年4月から札幌矯正管区第二部長。