六華だより

超ウルトラへの道

第96号

佐竹大助(南34期)

 フルマラソンは42.195km、この距離を超えるマラソンはウルトラマラソンと呼ばれる。100kmマラソンは全国各地で大会が開催され、さらに100kmを超える大会もたくさんある。一般常識人からは信じられないような距離を嬉々として走るランナーのことを、僕らラン仲間は尊敬の念を込めて「ヘンタイ」と呼ぶ。

 僕(ダイスケ、M34)もいつの間にかヘンタイランナーになっていた。

 

 僕が初めてハーフマラソンを完走したのは2010年、44歳のときだった。増え続ける体重にストップをかけるためにエントリー。それまで10kmしか走ったことのなかった僕にとって、ハーフ21.0975kmは未知の距離だった。

 2010年6月の千歳JAL国際マラソン、僕は人生初のハーフマラソンを完走した。完走後は生まれたての仔鹿状態、しゃがむことも階段を降りることも満足に出来なかった。

 

 Facebook上で六華RUNNERS倶楽部が創設されたのは、その2年後の2012411日。六華RUNNERS倶楽部には創設時から「ヘンタイ」の種がこっそりと播かれていた。

 

 その年の6月、初めてのハーフマラソンから2年後、僕は千歳JAL国際マラソンでようやくフルマラソンを完走した。「フルマラソン完走!」なんていい響きなんだ。僕はちょっとだけ鼻が高くなっていたと思う。

 

 六華RUNNERS倶楽部で「ヘンタイ」の活動が知られるようになったのはその頃だ。

 えっ!サハラ砂漠を5日間で250km?ゴビ砂漠も?北極で忍者のカッコでフルマラソン?南極で100kmマラソン?ダイコンコスプレで100kmマラソン?

 この「???」の主は、その後「マラソン中毒者(ジャンキー)」という本を出版した南43期の小野ちゃんだ。

 

 なんだかそのスケールの違いには、もう笑うしかなかった。ヘンタイを前にしてはフルマラソン完走なんて全然大したことではないんだなって思った。

 六華RUNNERS倶楽部のDNAには、創設早々にして「ヘンタイ」が埋め込まれた。

 

 2012年8月、僕は走り始めたときの最大の目標、北海道マラソンを完走した。翌20131月、その年の僕の目標は、あくまでも北海道マラソン完走だった。しかしFacebook上で賑わう仲間のエントリー報告につられ、ついついサロマ湖100kmウルトラマラソンにエントリーしてしまった。この時点で実績としてはフルマラソンを2回完走しただけ。

 この僕の無謀なエントリーに感動した小野ちゃんがすぐにエントリーして、完走をサポートすべく、伴走してくれることになった。

 100kmをエントリーした瞬間から、自分の中で意識が大きく変化したことも面白かった。エントリー前までは、今年もなんとかフル完走を!って思っていたのが、フルは練習だ!と思うようになった。

 

初めての100kmマラソン、これだけでもいろいろ書けるのだけど、長くなるので詳しくはこちらを。

https://daisuketimes.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html

 

 愉快な仲間のサポートがあって、なんとか完走できた。自分ひとりでは決して完走できなかったと思う。走ることは、自分の意思で切り開いて進んでいかなければいけない。だけどそこに仲間がいる、応援がある、これだけで自分の中に湧いてくる力がなんと違うことだろう。走ることを通じて実感した。

先頭ダイスケをサポートする愉快な仲間たち(最後尾が小野ちゃん)

 以降、サロマ湖100kmマラソンは毎年エントリーし、翌2014年は80kmでリタイアしたが、2019年までに6回完走している。また、サロマ湖以外の100kmマラソンにも出場し、嵐、猛暑、寒さなど様々な気象条件の中で走り、経験が蓄積された。

 100kmマラソンは、たいてい朝の5時ぐらいにスタートし、制限時間は13時間とか14時間の大会が多い。前夜は夜9時ごろには就寝し、2時ごろ起床、エネルギーとなる朝ごはんをしっかり食べてスタートする。13時間、14時間も走るので、途中のエイドでの補給は必須で、食べてすぐ走れるという胃腸の丈夫さも必要だ。また、早朝や夜間と日中の気温差への対応も求められる。超ウルトラマラソンとなると、これらに加えて眠気と闘いながらオーバーナイトで走ることが求められる。

 ウルトラマラソンは、走りきるという強い気持ちと同時にこれまでのいろんな経験が重要だ。

 

 マラソンをやってよかったと思うことのひとつは、仕事も年齢も関係なくラン仲間の輪がどんどん拡がることだ。走るという共通言語で、一緒に走ればもう仲間で友だちだ。ヘンタイの世界に浸かりヘンタイ仲間が増えてくると、100km以上の距離を走る超ウルトラマラソンという世界が見えてきた。

 「みちのく津軽ジャーニーラン」という超ウルトラを走ったラン仲間がSNSに上げてくる様子がとっても楽しそうだった。地元の人と交流しながらの競争ではないジャーニーラン。

 距離と制限時間を考えれば、かなり歩いても完走できるんじゃないか。そうは言っても100kmをやっとこさ完走しているのに、それ以上走れるのか。

 

 実際のエントリーまでは2年ほど悩んで、2018年、みちのく津軽ジャーニーランの188kmの部に初めてエントリー、制限時間は38時間。ついに超ウルトラの世界に足を踏み込んでしまった。ちなみに263kmの部もあって、263kmはロング、188kmはショートと分類されている。受付で「ショートの方はこちらへ~」と言われ、早々に超ウルトラの洗礼を浴びたのでありました。

 

 2018年、初めてのみちのく津軽ジャーニーラン、僕は足裏に水ぶくれが出来て、106kmで無念のリタイア。足裏以外、体は元気だっただけに残念だった。反省点がたくさんあった。しかしこれで経験を積んだ。それは必ず来年に生かされるはずだ。

詳しくはこちらを。

https://daisuketimes.blog.fc2.com/blog-entry-3468.html

 

 

2019年、コースが若干変更されショートの部は177km、制限時間は37時間になった。スタートとゴールは弘前市内。六華RUNNERS倶楽部からはショート5人、ロング1人の計6人がエントリーした。

177km、ショートの部コースマップ。ロングはCP4からさらに北上し龍飛岬を周ってくる。

 スタート時間は、ショートは朝7時、ロングはその前日の夕方17時だ。ロングにエントリーのヒロさん(M31)のスタートを見送った後、ショート組は完走を誓って盛大に前夜祭!

前夜祭、刺身盛合せに歓声があがる

 ショートの面々は僕のほか、ヤスユキ(M34)、ユリ(M40)、ワタル(M42)、シュンスケ(M46)。僕とヤスとユリちゃんは去年も走ったのだけど、全員リタイアだった。その後ヤスはヘンタイ道に磨きがかかり、スピードがダントツに速い。前夜祭における作戦会議で、ヤス以外の4人は行けるところまで一緒に行こう!ということになった。

 

 177kmのスタート、朝から晴れ上がり気温も高くなりそうだ。

岩木山が美しい

 ジャーニーラン、エイド間隔が長く、コンビニや商店も少なく20km以上補給箇所がない区間がざらにある。道中の水分、食料などを背負いながら走る。体に過度な負荷が掛からず、かつ、必要量を背負う。経験がものをいう世界だ。

 CP1嶽温泉(22.2km)を過ぎてコンビニも商店も自販機も何もない区間。と思っていたら神のようなエイドが降臨する。走っている仲間や家族を応援するための私設エイド。嬉しいなあ。ちなみに僕らよりずっと先を走っていたヤスには神エイドは降臨していない。

嬉しい私設エイド

 日中、気温が30度近くなる。熱中症にならないよう慎重に走る。完走が最大の目標である僕らは、適度に歩きを入れ、体力を温存しながら進む。先は長い。

 体力温存のために編み出された二八蕎麦走法。200m歩いて800m走る。小麦粉ウォークに蕎麦粉ラン。これがいいのは体の疲れにあわせて配合を変えればいいこと。三七、四六、五五、最後は小麦粉100でうどんウォークだ!

 

 CP3亀ヶ岡遺跡(67.4km)から9kmほどのところにあるファミリーマートを過ぎたあたりから気温が急激に下がってきた。そして夜が訪れる。ライトをつけながらのラン。

 風もごうごうびゅーびゅー唸りを上げる。一人で走っていれば、かなり心細い区間だけど、みんなと一緒に走っているので、とても心強い。

十三湖大橋を渡る。真っ暗で周りの景色は何も見えない

 CP4、去年リタイアした鰊御殿(95.3km)に到着、2223。月夜が美しい。

月に照らされて輝く海は本当にきれいだった

 ここはスタート地点で預けた荷物を受け取れる大エイド。ここでシャワーを浴び、着替えもして、カレーライスも食べて、ちょっとだけゴロンと横になってリフレッシュ。

モリモリ食べられる胃腸の強さも超ウルトラでは重要

 0時過ぎに再スタート。地元の方が言うにはヤマセが吹いてきたので、寒くなるという。

 この後、ユリちゃんに異変が発生した。

 後で知ったけど超冷え性のユリちゃん、寒さにやられて足が回らない。エマージェンシーシートを付けてから行くので先に行ってくださいって言うのだ。ここまで4人でずっと走ってきたのに。

 僕、ワタル、シュンスケ、3人が顔を見合わせる。

 「時間はまだ余裕があるので次のCP5パルナス(中泊町総合文化センター)には歩いてでも絶対行きます。先に行ってください」と再び強く言う。

 

 鰊御殿から8km地点のローソンで、4人が3人になった。

 でも「ユリちゃんはパルナスでちょっと待っていたら合流できる」と思っていた。練習不足でやや走力落ちているとはいえ、サロマの年代別で一桁に入ったことのあるスーパーランナーなんだから。

 ローソンからパルナスまでは約15kmの道のり。暗闇の中を配合比6:4、キロ9分ぐらいのペースで進む。

 7月中旬の開催、夏至からそれほど日もなく、昼が長い季節。途中で空が白んできた。鳥がさえずり始め、雄鶏がコケコッコーと鳴く。新しい朝が来た、希望の朝だ。

 夜明けの静寂の中をひたすら走る

 CP5(118.5km)パルナスに4:20に到着。眠気がかなり来ていたので、すぐにゴロンと横になった。30分ぐらいの休憩で出発するつもりだったのに、疲れと眠気で1時間近くグズグズしていた。

 そこに銀ピカのエマージェンシーシートに包まれたユリちゃんがパルナスに入って来た!そのカッコに驚愕しつつ、再会を喜びあう!

銀ピカシートを脱皮したユリちゃん

 次のCPは太宰治記念館の向かいにある金木町観光物産館(126.3km)、距離は7.8km。今までのエイド間距離に比べたら断然短い。CP6金木町観光物産館に640到着!

 リタイアした2018年のときは鰊御殿から朝一の路線バスに乗って到着したところ。そこに自分の足でたどり着けたことが嬉しい。

 さあ、あとは50kmほど、フルマラソンとちょっとだ!

 だけどここからが長い。津軽平野をひたすら進む。単調な道。五所川原市内に入るとコンビニがたくさんある。ジリジリ照りつける太陽、ついついコンビニに避難してしまう。

 

 CP7スポーツプラザ藤崎(156.4km)に1328到着!ここのりんごジュース、スイカ美味しかった。そしてアイシング用に氷をビニール袋に入れてくれて、これが気持ちよかった。

 CP8黒石駅前多目的広場(165.9km)に1525到着!エイドでは黒石名物つゆ焼きそばが振る舞われる。

黒石名物つゆ焼きそば。美味しく頂きました。

 次のCP9田舎館村役場前(170.8km)に向けて出発、距離は4.9km、ゴールまではあと10.8km

 「ゴールまで歩いても2時間ぐらい。もうゆっくり歩いていこう」

 ジャーニーだからね、津軽の町並みをゆっくり楽しんで行きましょう。

 CP9には1715到着。残り5.9km

この大会の象徴は岩木山だな

 ゴールのさくら野百貨店が見えてきた。あと少し。僕らより6時間半ぐらい前にゴールしたヤスがお迎えに来てくれた。

 そして4人揃っての喜び爆発ゴール!ヤス、いい写真をありがとう!みんなと一緒に完走できて、本当に嬉しかった。仲間に感謝。

喜び爆発ゴール

ゴール後のガッツポーズ!一番左の方は途中からご一緒した道産子ランナーOヒラさん

 ゴール後はさくら野百貨店4階にある温泉に入れる。お風呂にあったデッキチェアに寝転がったら、あっという間に寝ていて、気づくと大会制限時間の20時直前。

 そうだ、263kmにエントリーしたヒロさんはどうなっただろうか。慌ててお風呂から上がってスマホを見ると、制限時間直前にギリギリゴールしたとシュンからメッセージが入っていた!

 うわ〜スゴい、今年は六華RUNNERS倶楽部、みんな完走だ!

 

  走ることを通じてたくさんの友だちが出来ました。

 そこで感じることは六華ランナーの強さです。速い遅いではなく、それぞれがそれぞれのアプローチで自分の目標を達成していく強さ、そして常に誰かが新たなチャレンジをしています。

 六華RUNNERS倶楽部は刺激に満ちています。

 

あ、2019年の完走記、これでもかなり端折っていますので、詳しくはこちらを(笑)

https://daisuketimes2.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

 

佐竹大助(さたけだいすけ) プロフィール

株式会社ドーコン 総合計画部 技師長
1965年札幌市生まれ。東京工業大学卒業後、森ビルに就職。北海道に戻りたくて3年半で辞めて現在の会社にUターン就職。
2020年は佐渡島一周208km(制限時間48時間)にチャレンジの予定。さて、どうなりますやら。