六華だより

応援から共創へ。離島のホテルで今思うこと。

第100号

青山 敦士(南52期)

 六華の皆さまへ。52期の青山敦士と申します。

 高校時代には野球部での活動を通じて六華の皆さまには多大なるご支援を頂き、それ以降も何かと声をかけてくださる先輩の皆さま・後輩の皆さまとの出逢いに恵まれ続け、卒業して20年が経った今でもこの六華のご縁の力を感じずにはいられません。

 高校卒業後、東京の大学に進学した後、若気の至りもあって、日本海に浮かぶ隠岐諸島の1つ、海士町(あまちょう・中ノ島)という島に新卒で移り住み、この島の観光業に15年間携わってきました。5年前には、島で唯一となるホテルの経営をする立場となり、既存のホテルの別館を完全に解体・新棟を新設する形でリブランドを実施。昨年2021年7月に「Ent」というブランド名でグランドオープンを果たすことができました。

 オープン後約半年がたち、1月にはテレビ放映でのご紹介を頂いたこともあって、六華の関係者の皆さまからも多数のご感想や応援のお言葉を頂いています。さらに海士町にはふるさと納税を活用した「海士町未来共創基金」というチャレンジファンドが誕生したんですが、その原資となるふるさと納税にも六華関係者の皆さまからも多数のご支援を頂きました。改めてこの場でも御礼申し上げます。

 高校時代の甲子園出場時の六華の皆さまからのご支援もそう。その後のあらゆるご支援もそう。そして、今回なんかは遠く離れたこの小さな島の卒業生に対してもそう。

 六華のこの「応援する力」とは何がそうさせているのだろう。自分は先輩の皆さまからしてもらったような応援が周りにできているだろうか。応援をしてもらってばかりじゃなかろうか。高校を卒業して約20年間、何度繰り返したのかわからない自問を続けています。

 そんなことを考えていて1つの気づきがありました。札幌南高校の現役時代、特に野球部の活動において、限られた練習時間。限られた能力。3年間で最も向き合ったのが、この限られた条件をいかに活用し、いかに成果を最大化させるのかという「創造力」だったのかもしれません。

 そして今、海士町が世界へ発信しているテーマは「ないものはない」という精神です。ここに何か、共通項があるのかもしれない、そんなことを思い始めました。

 「ないものはない」という言葉には3つの意味を込めています。1つ目は「ないものはなくてよい」2つ目は「大切なものは全てある」そして3つ目は「なければ、創ればよい」というものです。特にこの3つ目の「なければ、創ればよい」という創造力は、南高時代野球部の活動を通じて培った力に更に磨きをかけ、コミュニティの共創力を生み出し、周囲を巻き込ながら高めあっています。私たちの「Ent」という宿泊施設においても、ホテル単独のホスピタリティ、サービス、という枠を越えて、このコミュニティの共創という場をさまざまな形で創り出したい。そう取り組んでいます。

 ふと気づけば、高校時代も今も、応援とはまさに共創そのものではないだろうかと今更ながらに考えています。たまたま野球というフィールドかもしれないし、離島のホテルというフィールドかもしれない。そんなリアルな現場を通じてこの六華というコミュニティでは緩やかに時空を越えて共創が生み出されています。改めてこの繋がりに感謝とワクワクを覚えます。

 この原稿を書いているまさに今、ロシアがウクライナへの侵攻を始めたニュースが入りました。大きな衝撃と自分の無力さに悔しく、悲しくなるけれども、まだまだ自分が知らないだけの理不尽が世にあふれるこの時代。改めて私自身はこの小さな島で共創の価値観を小さく積み重ねながら、六華の先輩・後輩諸氏、そして地域の皆さまと、共創の輪が大きく広がるコミュニティづくり、社会づくりに等身大で加わっていければと思います。

青山 敦士(あおやま あつし)

1983年、北海道北広島市生まれ。

札幌で野球一筋で育つ。大学進学で上京。途上国支援の活動を共にしていた先輩から海士町のことを聞き、新卒で海士町へ移住。海士町観光協会の職員として「海士の島旅」のブランディングに取り組み、地方の在り方を問う「島会議」の企画・運営を担当。2013年には観光協会の子会社となる(株)島ファクトリーを立ち上げ、旅行業・島のリネンサプライ業を運営。2017年より株式会社海士代表取締役に就任。 2021年7月にはジオホテル「Ent」をグランドオープン。