六華だより

自然を感じ、地域を知るのが防災の第一歩

第97号

長谷川洋平(南29期) 

 札幌管区気象台の台長に今年4月、長谷川洋平さん(南29期)が就任した。故郷札幌で暮らすのは、札幌南高校を卒業した1979年(昭和54年)に上京して以来という。管区気象台に加え、六つの地方気象台と一つの測候所および一つの航空測候所を有する北海道全域を管轄地域に温度、湿度、風速、降水量などの気象データを観測、解析して今後の変化を予測するとともに、地震や火山活動にも目を光らせている。久しぶりの札幌の印象や高校時代の思い出を交えつつ、現在の業務について、長谷川さんに聞いた。

聞き手 佐藤元治(南38期)=94日、札幌管区気象台台長室にて=

 

―――暑い夏でしたね。「戦後 最も暑かった8月」との報道を目にしました。

 「それでも札幌は過ごしやすいですね。夜になると、涼しい風が吹きます。熱帯夜(夜間の最低気温が25度以上)はまずありません。高校を卒業してからのほとんどが東京での生活でしたが、東京は人工建造物に囲まれた、まさに人間が作った世界です。一方、札幌は都市化が進みましたが、空が広くて雲も良く見えますので、気象現象が身近に感じられます。雪で覆われる冬が毎年必ずやってくることも、自然に対する感度が磨かれる一因と思います」

 

 ―――札幌での勤務は初めてだそうですね。

 「高校卒業以来、41年ぶりに札幌に戻りました。当時は美園に住んでいましたが、今は札幌北高近くの官舎に暮らしています。気象庁では東京の本庁勤務が長いですが、仙台や名古屋の気象台、つくばの気象研究所や清瀬市の気象衛星センターなどでも勤めていました」

 

 ―――ご自身は、どんな高校生でしたか。

 「小さいときは天文に興味があったので、将来の職業はともかくとして、自然科学分野に進もうと、大学受験を意識しつつ、勉学に励みました。南高に入って驚いたのは、とにかく多種多彩な人材が集まっていたこと。芸術家だったり、妙に世の中を達観していたり。権威におもねらず批判精神を持つ意識は、札南時代に身についた気がします。もちろん勉強だけでなく、文化祭やスポーツ大会なども仲間と一緒に取り組み、自由な雰囲気の中でとにかく楽しい高校生活でした」

 「生徒もユニークでしたが、それに劣らない強烈な先生たちとの出会いがありました。高校1年で地学を選択し、『ジオイド岡田』こと岡田明先生(1963年=昭和38年=から1989年=平成元年=まで勤務)に教わりましたが、『地学巡検』という先生独自の野外実習があって、八剣山だったかな、現地に連れて行かれ露頭観察などしました。地学という教科に情熱を持って教えておられましたね」

 

 ―――東京大学では地球物理学を専攻されたとのこと。

 「地学の授業を取った翌年、高校2年の昭和52年(1977年)に有珠山の大噴火があり、札幌でも灰が降りました。火山という自然の大きな力を実感したのが、その後も心に残っていたかもしれません。大学4年の昭和58年(1983年)には、日本海中部地震の津波で100人が一度に亡くなりました。防災を意識して、大学院では地震学の研究室に進学しました」

 

 ―――台長として力をいれていることを教えてください。

 「気象庁全体で今、取り組みを強化していることが、地方自治体と連携した地域の防災力強化です。例えば台風や大雨で、実際に住民に避難を呼びかけるのはそれぞれ自治体の仕事となりますが、それらをつかさどる市町村職員の方は、必ずしも防災の専門家というわけではありません。そこで、台風接近など大規模災害が予測される場合や、災害発生後の救助・復旧活動が行われる際、自治体に気象台から職員を派遣しています。最新のデータをもとに予想される天候の変化や、それに基づく避難のタイミングのアドバイスなどを、その地域に合わせて伝えるのが役割です」

 「気象台は原則、各都道府県にひとつ置かれています。ただ、大きな災害の場合に複数の市町村に職員を派遣するには、一つの気象台からだけでは数が足りません。そこで、例えば道内の気象台職員を九州に送り込むなど、広域応援を積極的に行うようになりました」

 「新型コロナウイルス対策には非常に気を使っています。天気予報、火山監視など24時間体制で職員が交代勤務している“現業”と呼ばれる部署では、何があっても、気象警報や天気予報が出せなくなる事態は回避しなければなりません。有事の際に他の気象台が業務を代行するBCP(事業継続計画)の仕組みはありますが、まずは感染者がでないよう、消毒や3密対策、現業職員にそれ以外の職員が接触することの原則禁止などを徹底しています」

「防災は、平時の備えこそが本質と考えています。災害が発生しそうな間際に慌てて対応しようとしてもなかなかうまく行きません。自治体の対応力アップに加え、住んでいる場所の災害リスクを自ら知るなど、住民が防災意識を培うことも大切です。広報活動や防災ワークショップ開催など、平常時の地道な取り組みで防災の裾野を広げたいと思っています」

 

 はせがわ・ようへい 1960年(昭和35年)8月生まれ。札幌南高、東京大、東京大大学院を経て1986年に気象庁に入庁。地震、火山対策を中心に「防災畑」を長く歩む。2013年から3年間は地震津波監視課長として、24時間365日対応の記者会見も担当。今年4月から現職。