六華だより

ロシアと私と日本画と

第108号

坂田 和嘉子(南34期)

 図工や美術は得意で、子供の頃の夢は漫画家になることだったが、両親に内緒で購入した漫画雑誌は見つかるたびに窓から投げ捨てられ、「美術系に進みたい」と口にしても、当然のように却下された。進路というものについて、「生涯、確実に食べていける道」を消極的に選ぶしかないことを悟ってしまっていた。高校時代は美術部の部室に出入りしていたものの、「ただいるだけの人」であった。授業以外で何かを能動的に描いた思い出は全くなく、いつしか絵を描くという行為を忘れ、約35年もの年月が過ぎた。自分らしく道を切り拓いていく同級生たちがまぶしかった。

 絵を描くきっかけとなったのは、愛猫を失って、寂しさの中にいたときに見つけた「日本画で猫を描く」というカルチャーセンターの広告を見つけたことだった。やがて亡くした愛猫を絵の中で再現していくことに夢中になった。

モデルは37期、坂田香織(実妹)

 やがて母が病に倒れ、介護の日々が訪れた。母を亡くしてから半年ほどは、仕事以外の何もかもが手につかない日々を過ごしていた。ちょうどステイホームが奨励された時期だった。そんなあるとき、ふと絵筆を取り、描きかけていた絵に手を入れてみた。カルチャーセンターにも再び通い始めた。いつしか絵を描くことが慰みになり、生活リズムを朝型にシフトさせて出勤前の2時間を絵画制作に割くようになった。定年を前に会社と家を往復するだけだった日々が、たちまち色を取り戻し、「自由であること」を思い出した。

   市営地下鉄の構内に無料で展示ができるスペースがあることを知り、試しに応募してみたところ当選し、愛猫の絵を数点展示させてもらうことになった。次いで、ある病院に併設されたギャラリーを無料で貸してくれることを知り、そこでも個展を行った。病院の片隅の無料展示ではあったが反響をいただき、いつか大勢の人の目に留まる場所で個展を開催してみたいと思うようになった。

 同時に、海外で展示ができないかという夢を抱くようになった。

 私にとって「海外」とはロシアを指す。実家が在札幌ロシア(当時はソ連)総領事館の近所にあり、父は開業医だった。患者として父を訪ねるロシア人は口々に「シベリア鉄道、良いですよ、一度乗ってみてください」などと言い、その話は幼少時の私をわくわくさせていた。やがてロシアのスポーツ選手に夢中になり、ロシア語を独学で学んだ。ロシア関係の旅行会社にいた時期もある。因果なことだが、私の母方は旧樺太からの引揚者であり、祖父は日露戦争で大陸の激戦地を生き延びた。いつ、どんな時期においても、この国への興味は薄れたことはなかった。

 また私は自分のルーツに強い関心があり、数年かけて戸籍や古地図から母方が暮らした場所を調べ上げ、2024年に旧樺太、サハリンを訪ねた。サハリンには日本時代の建造物が遺跡のように残されている。祖父が亡くなった場所を探し、母が遺した写真の場所に立ち、ふと、この風景と空気感を描いてみたい、という思いに駆られた。

ノボシビルスクでの個展のポスター。ロシア語で書くと名前はバカコになります

 このことをSNSに投稿したところ、「札幌ノボシビルスク協会」と縁がつながり、このNPOが札幌と姉妹都市である、ロシアのノボシビルスク市との交流を絶やすことなく継続しているということを知った。ほどなく「日本フェスティバルを毎年開催しているので、個展とワークショップをやってみませんか」という夢のような話が舞い込んできた。日本フェスティバルは「シベリアにおける日本の春」と呼ばれ、毎年、ノボシビルスクの人たちが楽しみにしているイベントであるそうだ。2025年5月、大きなスーツケース二つに日本をテーマにした作品を20枚ほど詰め込み、代表団の一員としてノボシビルスクを初めて訪問し、シベリア北海道センターにて個展とワークショップを行った。色紙に桜を描くワークショップを企画したところ、連日満員御礼となった。政治の問題があろうと、芸術は国境や民族をひょいと超えてしまうものだ。どこでも歓待を受け、たくさんの友人ができ、私はこの町が大好きになった。

ノボシビルスクでの個展とワークショップにて


 帰国して約半年後、大通にあるギャラリーで初めて個展らしい個展を開催した。ノボシビルスクで展示した作品のほか、サハリンをテーマとした作品を据え、在札幌ロシア領事館やノボシビルスクのシベリア北海道センターからも後援をいただいた。美術ファンだけではなく、サハリンに関心を持ち「私も引揚者だった」という方にもお目にかかった。「戦前に樺太にいた頃が一番楽しかった」と語った方もいた。あの島には、母たち日本人の普通の暮らしが確かにあったことを感じた。還暦を迎えるまでにサハリンのほか、国内外の自分の祖先にゆかりのあった場所をほぼ訪ね終えた。これからもサハリンや家族をテーマにした作品を描き続けたいと思う。

 両親が期待した通りには生きられなかったが、60年もの時間をかけてようやく、なりたい自分になれたように思う。目下の夢はサハリンを再訪し、個展を行い、交流の糸をさらに紡いでいくことである。

坂田 和嘉子(さかた わかこ)

1965年札幌市生まれ
千葉大学看護学部、看護学研究科修士課程修了後、総合病院等で助産師、ロシア系旅行会社勤務、フリー通訳、看護学校教員、企業の健康相談室勤務を経て、日本画家に転身し、
札幌を拠点に活動中。北海道美術作家協会会友。