六華だより100号のあゆみ その9 81~90号
六華同窓会の会報誌の半世紀を振り返る連載「六華だより100号の歩み」は残すところあと2回となりました。9回目は2012年(平成24年)10月1日発行の第81号から2017年(平成29年)3月1日発行の第90号を取り上げます。
会報発行委員会
通信教育部
札幌南高校に「通信教育部」があったのをご存じでしょうか。北海道立札幌第一高校時代の1948年(昭和23年)に設置され、1967年(昭和42年)に北海道有朋高校として独立しました。六華同窓会には1957年(昭和32年)卒の第1期から1967年卒の第11期までの方が会員となっております。第81号の「リレー随想」は、1961年(昭和36年)に通信教育部を卒業した丸山孝男さんが「札幌南高よ、永遠なれ!」と題して執筆しました。
丸山さんは元明治大学商学部教授で専門は英語学。「英語ジョーク見本帖」「アメリカの大統領はなぜジョークを言うのか」など米国文化に通じた著作もあり、リレー随想執筆時は大学を定年退職したばかりでした。通信教育部には1957年(昭和32年)、中学時代の英語教師の紹介で入学。故郷八雲町の八雲鉱山の選鉱場で働きながら勉学を重ね、卒業後は法政大学大学院を経てニューヨーク大学大学院へ。東京銀行ニューヨーク支店を経て、明治大学で37年間、教鞭を振るいました。
リレー随想では、南高には毎年2週間ほどスクーリングに通ったことや、南高卒業式の思い出として、国語担当の先生が「おおいに喜んでくれて」、ススキノに連れて行ってくれた様子がユーモラスに描かれています。
このほか第81号には、この年メジャーデビューしたシンガー・ソングライター山崎あおいさん(南62期)が寄稿。南高在学中の2009年(平成21年)に第3回ミュージックレボリューションの決勝大会「ジャパンファイナル」でグランプリと特別審査員賞をダブル受賞。寄稿時は慶應義塾大学1年でした。

Web版「六華だより」スタート
2013年(平成25年)10月1日発行の第83号から「六華だより」史上初の大改革が行われました。年2回発行のうち1回について、冊子の印刷を取りやめ、インターネットで公開することにしたのです。同年3月1日発行の第82号には当時の会報発行委員会委員長、藤井健男さん(南26期)が「発行形態の変更について」と題し、経緯を記しております。
紙媒体は印刷費、発送作業費、郵送費などがかさみます。同窓会会計の約70%を占めており、コスト削減が必要な状況でした。第82号では「近年のネット環境の充実に鑑みる六華同窓会の進取性としてご理解いただけるものと確信しております」と記され、試験的に同号をID、パスワード付きでWEBで閲覧できるようにしました。
初のWEB版となった第83号は、初めて男女共学となった南1期(1951年卒)の4人を、六華だより編集委員の志羅山美香さん(南37期)が取材しました。最終学年の1年間だけということもあり男女の交流はほとんどなく、通学途中の電停で異性の級友に会っても口もきかなかったそうですが「後で聞いたら、街でデートしていた人も」。女性教職員の数が十分でなく、修学旅行にも担任の先生の奥様が同行したそうです。卒業後もクラス会が続いたのは担任の伊藤薫先生のおかげ。クラスのみんなを校地内の公宅に招いてくれたのがきっかけで、「62年間の友情」が続いたそうです。
その後、3月発行の偶数号は紙媒体、10月発行の奇数号はWEB版となっていましたが、2017年(平成29年)3月発行の第90号が最後の紙媒体となりました。同号では長年発行に携わった池田慎隆さん(南2期)が「『六華だより』最終の紙媒体 万感、胸に迫るものあり」を寄稿しました。「第九号までは先生方の手だけで編集・発行し、六華会の広報誌のようだった」。第10号から北海タイムス勤務の池田さんらが加わり、同窓会の動向に限らず、さまざまな同窓生の活躍を紹介する現在のスタイルにつながっていったそうです。

「藻岩会」と札幌一中
2014年(平成26年)3月16日。60年にわたって続いた札幌一中の卒業生有志からなる親睦組織の最後の例会が行われました。「藻岩会」と名付けられたその会は各界の重鎮が集まる交流組織。質実剛健、堅忍不抜をうたう一中精神を伝えようと「六華同窓会」を支えてきました。歴代同窓会長を務めた佐藤貢氏(中20期)=雪印乳業初代社長、酪農学園大学創設者=、新保幸太郎氏(中30期)=札幌医科大学第3代学長=、堂垣内尚弘氏(中36期)=第3代北海道知事=、福山卓爾氏(中46期)=元福山醸造会長、元全国味噌工業協同組合連合会会長=、伊藤義郎氏(中48期)=元伊藤組土建会長、元北海道商工会議所連合会会頭=、我孫子健一氏(高2期)=元北海道副知事=は藻岩会会員。地下鉄南北線北12条駅近くの「札幌中学校『発祥の地』碑」の建立や、校門そばにある「六華の門」の復元にも携わってきました。
2014年10月1日発行の第85号(WEB版)では、民亮一さん(中49期)が、1954年(昭和29年)の結成から解散までの歩みを記しています。最盛期は300人近くの会員を数えましたが、高齢化により80人弱に。最後の例会には35人が出席し、校歌「雲より出でて一百里」に声をそろえました。
会員の中田靖泰さん(中54期)は2015年(平成27年)3月1日発行の第86号に「最期の一中生五十四期」を寄稿しました。1944年(昭和19年)の入学で、実は高2期とまったくの同期。1948年(昭和23年)の新制高校発足に伴い、札幌第一中学校は札幌第一高校となり、1944年の入学生は一中4年から一高2年生に進級しました。ただ、新制高校に進まない生徒もいました。当時は学制改革の過渡期で、旧制中学4年を終えた時点で旧制高校や大学予科へ進学する生徒もいたからです。北大予科に進学した中田さんもその一人。「中54期」とは、こうした理由で一高に在籍しなかった同窓生なのです。
寄稿では、雪戦会や戦時下の援農の思い出、そして中田さんたちが2014年10月に開いた最後のクラス会の様子が記されています。









第108号 の記事
2026年3月1日発行