六華だより

画家たちの思い出

第93号

平野紀子(定10期)

 思わぬ人生で、尾瀬の山小屋に嫁いで早や54年。初代平野長蔵から数えて130年近い歳月を平野一家は、尾瀬の四季の中で喜びと悲しみと辛さと、多くの人たちとの出会いを通じて、これ迄一筋の道を歩んできました。美しくも厳しい自然の中で一日も休むことなく、自然と共に生かされ、次代につなぎながら日々を送っています。

 南高の大先輩・佐々木保雄先生(トンネル工事の世界的権威)に、東京六華同窓会の会場でお会いしたのは、はるか昔1981年頃。お声をかけていただき、当時日本山岳会の第14代会長(1981-1985)であられた先生から入会を誘われました。日本の山岳界で最も歴史ある山岳会の頂点に立たれていた先生のお言葉に恐縮しながら、入会させていただいて以来30有余年、微力ながら活動を続けています。とはいえ山小屋の仕事との両立は難しかったので、本格的な活動は息子にバトンタッチしてからのことです。

 大正時代からの宿帳には、著名な山男の先駆者の名前が多く残されています。小屋の宝物です。明治41年には画家の大下藤次郎さんも来山されています。尾瀬にとっても、日本の水彩画(みずえ)を生んだ画家としても絵画史に遺るものです。雑誌「みずえ」の創刊号で、尾瀬の風景画が掲載され、世の中に初めて、絵による尾瀬の存在が知られたのです。長蔵は大下先生への感謝を込めて、沼のほとりに顕彰碑を建てました。ご子息の正男さんは、1966年2月の全日空機事故で美術出版社の社長のまま「札幌雪まつり」に参加した多くの出版社の方々と亡くなりました。今は、四代目の方が時おり上山されています。

 先日、同じ10期のメンバーが連続25年目の尾瀬入山を果たしました(すでに後期高齢者になっても…)。

 10期の「豊平会」会報に、過日ささやかな原稿を書かせていただきました。下記の通りです。お目通しいただければ幸いです。

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絵が好き      平野紀子(鈴木)

 明治40年生まれの父も、叔父たちも、みんな一中卒でした。なにしろ山鼻育ち、正門を、真っすぐ二町も歩くと、家なので、一中はホームグラウンドなのです。父は昭和17年に36歳で事故死で、母が父との想い出を語っていたこと、三岸好太郎さんのことを“三岸、三岸”と云い、坂本直行さんのことは“直行(ちょっこう)、直行”と呼び捨てにしていた仲だったようです。山男だった父の交友関係は、北大の大野精七先生、荻野目先生、在札の外国人、スイス・ドイツの山好きな人たちでした。後に父の山友だった方が、三岸節子さんを、摩周湖にご案内し、“拓銀”の一枚カレンダーに、三岸カラーの緑一色に描いた素晴らしい作があり、私は長年ボロボロになる迄、飾っていました。あの原画は、今、何処へいってしまったのだろう。節子さんの故郷、愛知の美術館かしら?

 昭和39年、尾瀬の山小屋・長蔵小屋に嫁ぎ、義父・長英が、坂本直行さんの画文集「原野から」を同じ開拓者として、想いを同じにし、いとおしそうに手に取り読んでいる姿が私の第一印象、平野家の家風は合うと直感。そして居間の壁には、額入りで、小樽出身の中村善策さんの水彩画がありました。日本のすべての国立公園を当時のトップクラスの画家さんが、それぞれの地に滞在し、その風景を描いたのです。「尾瀬沼」を描いたのが中村さんでした。昭和47年、大石環境庁長官室を訪れた時、この「尾瀬沼」が飾ってありました。今は、この全作品が日光市立美術館に保存されています。

 昭和53年、東京・小田急百貨店での「神田日勝遺作展」で、「室内風景」、32歳で絶筆の未完のベニヤ板に描かれた「馬」の絵を見た時の衝撃は大きかったです。会場にいらしていた神田ミサ子さんとお嬢さんと一緒に撮った白黒写真は今も大切にしています。その後、鹿追の「神田日勝美術館」へ行った日、駆けつけて下さったミサ子さんの笑顔も忘れられません。

 私が中学生の頃、祖母は一人で、北大生二人を下宿させ、その一人の友人が、木田金次郎さんの甥っ子で、面影が金次郎さんにそっくり。函館で一日遊んだこともありました。岩内と云えば「無言館」の窪島誠一郎さんの奥様も岩内出身。開館20周年を過ぎました。開館時唯一の北海道出身の大江正美(男性)さんの作品「白い家」がありますが、子供の頃家に飾ってあった大きな額入りの「花」が、父の形見の大江さんの作品であることが分かり、数年前、川沿に住む姉の家に窪島さんがお見えになり預かってもらい、今は北海道巡回展の時出品されています。

 南高の美術の先生、黒の詰衿に白いカラーのフロックコートを着てキリストのようなお顔の花田弥一先生も亡くなる迄、お手紙を下さいました。三人の子供たちに毎月福音館書店の「かがくのとも」をとっていましたら、先生の作品が「りんご」という絵本になっていて、とても嬉しく“先生バンザーイ”でした。

今の風景
これからの風景
秋本番の風景