六華だより

もっと福島のことについて知りたい

第93号

もっと福島のことについて知りたい

寺町六花(南63期)

 皆さんは福島について、どのようなイメージを持たれるのでしょうか。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災地、という印象がまずあるのかもしれません。

 私は今年の4月末から、福島県福島市に住み、記者として働いています。

 2011年の3月11日、高校1年生だった私は、友達と札幌ステラプレイスで買い物をしていました。震度4くらいの揺れがきて、店内の天井からぶら下がっている案内板が揺れたのをおぼえていますが、たいしたことはないだろうと思って、そのまま買い物を続けました。東北で大きな地震が起きたということは、母からの電話で知りました。「家に戻って、念のためお風呂に水を張っておいて」と母に言われ、誰もいない家に帰ってテレビを付けると、畑が、家が、津波で流されていく様子が映っていました。津波の映像も、まもなく起きた原発の水素爆発も現実のこととは思えませんでした。あのとき東北の人たちの身に何が起きたのか、その人たちが何を考えていたのか。気になっていながらも、やがて私は部活動に追われ、受験勉強に追われ、そのことについて考えることは減っていきました。

 大学では文化人類学を勉強し、ロシアやエストニアに留学しました。わたしの卒業論文のテーマは「エストニアにおけるロシア語母語話者のアイデンティティ」というものでした。ソ連崩壊前、エストニアではロシア語が力を持っていましたが、エストニアの独立とともにエストニア語が公用語になると、人口の3割を占めるロシア語母語話者は「外国人」として扱われるようになりました。私はエストニアで彼らにインタビューをし、ソ連崩壊前後の記憶を尋ねながら、「人の中にある歴史を聞き、それを形にすること」に惹かれるようになりました。

「人の中にある歴史に立ち会える仕事は何だろう」と考えて、ことし4月、縁があった新聞社に入社しました。配属先の希望は特にありませんでしたが、福島配属を言い渡されたときは驚きました。高校生のとき、うやむやになってしまった福島への関心が、宿題となって戻ってきたような気がしたからです。と同時に、いま日本で1番と言っていいくらい様々な課題を抱えている場所で、私に現実と向き合う覚悟があるのか、不安になりました。

 ですが、福島に配属後は、事件事故から野球などのスポーツ、まちのできごとの取材に追われ、「福島の現実と向き合えるのか」というような不安はどこかへいってしまいました。配属後からの数ヶ月は、本当に必死でした。事件事故の現場へ行ったり、なれない車を何時間も運転したり(福島は本当に広い)、野球のスコアを付けるようになったり、まちで出会った人にお願いして写真を撮らせてもらったり。高校生、大学生のころとはあまりにもかけ離れた生活で、知り合いもいない場所で、自分の細胞をまた一から作り直すかのような日々を送っていました。「福島の現実と向き合う」前に、「記者という仕事と向き合う」のに、いっぱいいっぱいだったと思います。

 最近になって、ほんの少しだけ、仕事に慣れてきた気がしています。少しだけ心に余裕ができたのか、「もっと福島のことを知りたい」と思うようになってきました。福島市の町中では「復興」の文字をよく見かけるし、人々の会話の中でも震災の話は出てきます。それでも、あの日福島にいなかった私は、まだその「復興」の意味について、全くわかっていない気がします。あの日からきょうまで、一人一人はどのような経験をしてきたのか。震災と原発事故は生活をどのように変えたのか。いま人々は、どんな風景を見ているのか。よそ者の私が理解することは難しいけれど、これから少しずつ現地に足を運んで、たくさんの人と話したいなといまは考えています。

 最後に、私が住んでみた福島市について少し紹介させてください。福島県は浜通り・中通り・会津の3つに大きく分かれるのですが、それぞれ文化も気候も異なります。福島市は県の北側にあり、仙台まで車で1時間半ほど。吾妻連峰などの山々に囲まれた盆地で、夏はとっても暑い場所です。北海道から比べると、本当にいやになってしまうくらいの暑さです。名物はイカにんじん(松前漬けの、昆布がないやつ)と、円盤餃子(円盤状に並べた焼き餃子)、そしてなんといっても桃などの果物です。福島の人は熟した桃ではなく、柿のような固い桃が好みのようです。

 福島の人は、向こうから話しかけてくることはほとんどない、どちらかといえばシャイな人が多い印象ですが、一度仲良くなるとすごく温かい人が多いなと感じています。私の駐車場の向かいにある畑のおじさんとおばさんは、あいさつをするたびに、枝豆、トマト、なす、じゃがいも、きゅうり、いんげんなどをたくさん持たせてくれます。私はふたりの名前も知らないし、向こうも私のことを全く知らないのですが、そんな近所づきあいが楽しいきょうこの頃です。