第104号 記事一覧
不思議な「ことば」を追いかけて—漱石研究へ一歩を踏み出したころ—
飛ヶ谷美穂子(南19期) 漱石とはじめて出会ったのは、小学四年のころ読んだ『坊っちゃん』。子供向きに一部書き直されていたが、それでも歯切れ良い文章の勢いに乗って一気に読みとおし、世の中にこんなに面白い本があったのかとびっくりした。巻末の解説に、この作者はもっとすばらしい作品をたくさん発表していますから、みなさんも大きくなったらぜひ読んでみてくださいと書いてあるのを見て、ぜったい嘘だ、これより面白い...
「100年目の熱い夏」〜㐂久一本店創業百周年記念展を終えて
伊藤千織(南35期) 私の亡父の実家は、山鼻で仕出し屋を営んでいる。名を「㐂久一(きくいち)本店」と言う。大正12(1923)年創業で、昨年の8月に100周年を迎えた。 「仕出し屋」とは、冠婚葬祭・宴会・会議やイベントなどのお料理や弁当を、注文を受けて調理し配達する料理業のこと。(今風にいえばケータリングか料理も自前のUber Eatsといったところ。) 㐂久一本店の創業者である私の曾祖父母・伊藤...
アマチュア無線の楽しみ
三浦 弘人(南42期) 2019年、勤務先である旭川市役所での配属が旭川市科学館となり、市民にラジオ工作や技術を教える立場となりました。それをきっかけとして、二十数年ぶりに自身のアマチュア無線局を復活させました。コールサインは昔と同じ、JI8UCIで免許がおろされました。 アマチュア無線の経験がない方からは、無線の何が楽しいの、ということを必ず聞かれます。私はこの質問には「不確実性と偶然性をともな...
秋野菜であふれるオフィス~農業専門税理士事務所の挑戦~
森下 浩(南44期) 私達南44期は令和元年が同窓会幹事で、私は現役生向けの六華ゼミの講師を担当しました。南高に入ってから周りが皆賢くて人生初めての挫折を味わったこと、2年生当時の学年順位は250位でしたが志望校の北大には2年生時点で200位までしか現役合格していなかったこと、その資料を見た時に「それじゃあ250位から現役合格して後輩達の希望の星になってやる」と奮起し50位まで順位を上げて現役合格...
北海道発 菓子の可能性
長沼 真太郎(南55期) 札幌南高校卒業生の皆様へ。55期の長沼真太郎と申します。 高校では硬式野球部に所属し、甲子園を目指して毎日汗水を流しておりました。 現在は洋菓子きのとやなどでつくる洋菓子グループ「北海道コンフェクトグループ」を経営しております。 今回、六華だよりに寄稿させていただけること、大変嬉しく思っております。 「日本を代表する製菓企業をつくる」 自身が描くビジョンを、明確な言葉とし...
「帰る場所」 合唱部の活動について
印部 陽一(合唱部顧問) 札幌南高合唱部の活動について、顧問の印部が紹介します。私が南高に赴任した令和3年度はコロナ真っ只中であり、歌をうたうこと自体はばかられるような状況でした。そんな中でも部員数は決して多くはありませんが南高合唱部は歌う機会を大切にしてきました。 令和5年度の活動を春から振り返ってみます。 4月 新歓ミニコンサート 6月 高文連、コーラスフェスティバル 7月 南高祭 8月 NH...
みなみ新聞局活動紹介
桝田悠月(札幌南高校2年・みなみ新聞局長) 私たち「みなみ新聞局」は1年生3名、2年生6名の計9名で活動しています。行事や各種大会で 優秀な成績を収めた生徒などを紹介する新聞「The Minamiko」を2か月に1号ほどの頻度で発行しています。 南校新聞局の歴史は開校時から続いているのですが、途中で生徒会誌「みなみ」の編集を担当する「みなみ編集局」と統合され、「みなみ新聞局」へと名前が変わりました...
六華だより100号の歩み その5=41~50号
会報誌の半世紀をたどる連載「六華だより 100号の歩み」。5回目の今回は1992年(平成4年)10月10日発行の第41号から1997年(平成9年)3月1日発行の第50号までを振り返ってみましょう。 会報発行委員会 創立100周年と新校舎 1895年(明治28人)、札幌尋常中学校として開校した母校は1995年(平成7年)、創立100年の節目を迎えました。同年10月1日発行の第47号は「創立100周年...
編集後記ほか
事務局だより 2024年3月1日、めでたく卒業された南74期(全日制307名、定時制13名)の同窓会入会を心より歓迎いたします。 記念品として同窓会より全日制は卒業証書ファイル、定時制は印鑑をお贈りいたしました。 六華同窓会事務局は毎週火曜日の常駐ですが、e-mail、FAXは常時受け付けておりますので、ご意見、ご要望等お寄せください。また、史料館には周年記念誌をはじめ、各期の卒業アルバムもござい...