六華だより

六華だより100号の歩み その5=41~50号

第104号

 会報誌の半世紀をたどる連載「六華だより 100号の歩み」。5回目の今回は1992年(平成4年)10月10日発行の第41号から1997年(平成9年)3月1日発行の第50号までを振り返ってみましょう。

会報発行委員会

創立100周年と新校舎

 1895年(明治28人)、札幌尋常中学校として開校した母校は1995年(平成7年)、創立100年の節目を迎えました。同年10月1日発行の第47号は「創立100周年記念号」と銘打ち、一部カラー刷り16ページの特別号となりました。
 巻頭言は創立百周年記念協賛会会長の堂垣内尚弘さん(中36期、2004年逝去)が執筆しております。1971年(昭和46年)に北海道知事に就任し3期12年を務め、退任後は中曽根康弘内閣での臨時教育審議会(臨教審)委員、カルガリー冬季五輪(1988年)日本選手団団長などを歴任しました。六華同窓会では1987年に第8代会長に就任し、1991年(平成2年)の退任後は創立百周年記念協賛会の会長として、母校の節目の準備を進めてきました。
 堂垣内会長は「101年を踏み出す後輩諸君に申し上げたいこと」として、勉学はもちろんとしてクラブ活動などを通して人間性を磨き「知、徳、体の総合性に向かって努力すべき」と記しています。

1995年まで使用された3代目校舎を写した第47号「創立100周年記念号」

 このときの同窓会長はみそ・しょうゆ製造の道内最大手、福山醸造会長=当時=の福山卓爾さん(中46期、2007年逝去)。同窓会では幹事、幹事長、副会長と長く役員を歴任し、1991年に第9代会長に就任。同年の総会で、第10代会長の伊藤義郎さん(中48期、2023年逝去)に引き継ぎました。
 続く第48号(1996年3月1日発行)は「新校舎記念号」。47号と同じ一部カラー刷り16ページで、創立100周年に合わせて1995年11月6日に使用を開始した校舎内を、写真16枚で紹介しています。そして興味深いのは、単にピカピカの校舎を紹介するだけではなく、札幌南高校新聞局発行の新聞「The Minamiko」第128号に掲載された生徒の不満の声も転載されていることです。
 新校舎は5階建て。生徒の投稿記事では、1階に車いすの方用のトイレが設置されたことに触れつつ、エレベーターがないと指摘。「骨折した人やお年を召した先生方に五階まで歩かせようというのである…(中略)…学校に来る体の不自由な人は全てお客様という発想が、どれだけ時代遅れのものか」と批判を展開しています。また、階段の狭さとトイレの少なさについても指摘しています。

第48号に見開きで掲載された新校舎の様子

 なお、このときの新校舎は現在の校舎でもあります。2022年度から2か年かけて大規模改造工事が行われ、内外装や暖房、配管設備等の改修が続けられています。
 第47号には「図書館~六華同窓会史料館を憶う」と題した記事も掲載されました。1949年から1966年まで母校の数学教諭として教鞭をふるった相原嘉正さん(中37期)が、1931年(昭和6年)に図書館として建設された建物の歩みを紹介しました。建設当時は鉄筋コンクリート2階建てで総坪数79.7坪の「当時としては大変モダンな建物」。戦時中は軍が使用したこともありましたが、戦後は増築により和室や同窓会館としての機能も設けられました。その後は札幌南高校通信教育部が独立した有朋高校の校舎となりましたが、有朋高校が移転した後の1979年からは六華同窓会史料館として活用されてきました。新校舎建設に伴い、この建物も取り壊しとなり、その機能は校舎隣の「百年記念館」に引き継がれています。

■文筆家群像

 六華だよりは、幅広い分野で活躍する同窓生の姿を取り上げてきました。1992年10月10日発行の第41号ではイタリアルネサンス文学・文化研究者の澤井繁男さん(南23期)が「仕事の有機性」と題して寄稿しました。澤井さんは同年7月、自らの腎移植の経験を通して生命への考察を深めた著作「いのちの水際を生きる」を出版。六華だよりには、これまでの仕事を見つめ「〈いのち〉にこだわって、それぞれにアプローチしているのでは」と記し、「創作と研究の両立ということが実現できそうな感じがしている」とつづっています。
なお、澤井さんは2019年まで関西大学文学部教授を務め、2022年にはイタリアルネサンス期の聖職者で哲学者トンマーゾ・カンパネッラが記した「事物の感覚と魔術について」の翻訳書を、2023年には大学での講義録をベースにした専門書「ルネサンス文化講義 南北の視座から考える」を刊行するなど精力的な発信を続けています。
 その1年後、1993年10月10日発行の第43号では小説家の見延典子さん(南24期)による「十九年ぶりの母校」が掲載されました。早稲田大学文学部の卒業制作「もう頬づえはつかない」(1978年、講談社から単行本化)が50万部を超えるベストセラーとなった見延さんは、新校舎に立て替えられる前に、そして恩師に会うために卒業以来初めて札幌南高校を訪問。恩師と再開後、1人で懐かしい校舎を歩きつつ、様々な思い出と向き合った様子を「過ぎ去った歳月が新たなうねりとなって押し寄せてくる。懐かしい校舎は、無数の思い出を飲み込んだ巨大な脳のようであった」として結んでいます。
 見延さんは現在は広島県在住。広島藩の儒学者で幕末のベストセラー「日本外史」を書いた頼山陽(らいさんよう)の研究をライフワークとし、2008年には小説「頼山陽」で新田次郎文学賞を受賞、2019年には集大成となる評論「頼山陽と戦争国家」を出版しています