六華だより

六華応援ひろばの誕生

第99号

但野 拓志(南35期)

2012年2月某日・・・・「その日」のことは未だに忘れることができない。そして、もうすぐその日から10年の月日がたとうとしている。その日、目が覚めてPCを見ると、何やらFacebookグループなるものに招待されていて承諾すれば参加できるとの通知が来ている。それが「六華拉麺部」だった。そして、それはその日のうちに僕の中の何かをくすぐった。


 その日のことを覚えていらっしゃる方も少なくないでしょう。そして、その後、たくさんできた六華Facebookグループを後から知って参加した方もたくさんいらっしゃることでしょう。

 僕は「その日」の少し前まで、同期の中ではいわゆる「行方不明者」でした。でも、その前日まで全く忘れ去っていた遠い過去がある日突然稲妻のように雲の中から自分に脳に電撃を与えました。昔の仲間たちや縁の深い素敵な仲間たちとの間に、まるで当時からずっと繋がっていたかのようにポワッと音を立てて「絆」が湧いて出てきたのです。

 ラーメンや特定の趣味で繋がっているだけではもったいないほど、この「六華」という得体の知れないコミュニティは魅力的な存在でした。六華の仲間達がラーメンを食べ過ぎだと思って六華咖喱部を作ってみたりもしましたが、もっと幅広くみんなと一緒に楽しみたいと考えました。

 いろいろなアイディアがあったのですが、「一緒に何かを応援すること、そして、互いに応援しあうこと」を模索しようと考えました。でも、テーマは美しいですが、みんなに価値があると感じてもらうことは簡単なことではありません。そこで、まずは先輩や後輩の皆さんと一緒に、どんな企画が多くの人を惹きつけるのか、実験的な取り組みを始めてみました。それが2012年の7月末のことです。

 そこでは、たまたまテレビで高校生クイズの番組に出場することになった札幌南高の後輩たちを応援する企画や、高校野球の地区予選での札幌南高等学校野球部を応援する企画など、さまざまな企画を実際にやってみました。面白いと感じる方もいれば、なんのためにやっているのか分からないと感じる方もいて、意見はさまざまでした。コミュニティの名称もみんなで議論し、「広場」は漢字ではなくひらがなにする方がいいなど、楽しい議論がありました。

 そして、その実験的取り組みの中で、漠然としながらも「何か楽しいこと」に繋がるという予感を得て、約3ヶ月後に「六華応援ひろば」が正式オープンしたのです。

 南極でのマラソンレースに出場する楽しい後輩を応援するために素敵な先輩が作った「マガちゃん」を六華応援ひろばのマスコットに決め、それ以来ずっと「六華応援ひろば」の入口で皆さんを待っています。

南極の地で六華を応援するマガちゃん(マガちゃん製作:34期佐竹幸穂さん、撮影:43期小野裕史さん)

 六華応援ひろばでは、六華ランナーたちのマラソンの応援だけでなく、映画製作やアート作品の応援を始め、六華の仲間たちが取り組むさまざまな活動の応援をしてきました。また、六華の仲間達が取り組む活動でなくても、六華の仲間達で一緒に応援する活動もしてきました。さらには、六華同窓生の活動が紹介されるようになったり、みんなで同じ夢を見ることができるような情報や札幌の歴史や時事が共有されたり、とても自由な多くのコミュニケーションを生むことになったように思います。ここは、初期の想いをはるかに超えて、今や六華の仲間達が自由に励まし合う場になったようです。

 六華って面白い。

但野 拓志(ただの ひろし)

1966年美唄市生まれ  中学・高校時代はコンピュータソフト開発が趣味だった。大学時代に世界中とコンピュータ通信で繋がりたくて、当時のKDDと契約して自宅に国際パケット通信網を引いた(個人契約はまだ100人くらいだと言われた)。ネットで知り合った人たちと深夜までチャットする生活を送っていたが、ある年の年末に「大晦日にうちに来ませんか?」と呼びかけたら、大学教授や某大手企業の半導体事業部長の夫妻を含め約15人が自宅に集まった。よく知った仲なのに皆互いに「初めまして」と挨拶したことがとても印象深い記憶として残った。そんな古き良き時代を思い出し、2012年に「六華応援ひろば」を立ち上げた。