新米議長奮闘記 ~ 下川町に20年暮らしてみて
我孫子 洋昌(南39期)
六華だよりの原稿を依頼されたのは、当時立ち上がったばかりだった名寄のコミュニティFM局(Airてっし)の活動を紹介して以来の2回目になります。その時は南25期の山田純先輩からの依頼でした。
今回は、38期の佐藤元治先輩からの依頼で執筆しています。かなり前から執筆依頼があったのに、既に締め切りを過ぎ、様々なイベントに参加する合間にパソコンに向かっています。
自己紹介をすると、39期として入学して、留学を経て40期として卒業しました我孫子洋昌です。南高在学中は鉄道研究部、軟式テニス部等に所属していました。また、1994年の初夏に南高で教育実習をしたので、そのときに在学していた45期、46期あたりの方が覚えていてくれたら嬉しいです。
さて、鉄道研究部で過ごしたと書きましたが、当時の鉄道研究部は、普段こそ部室街の一室で鉄道関連の雑誌を読んだりしていましたが、新入生歓迎行事は手宮の鉄道博物館へ出かけ、学校祭で鉄道模型を展示(Nゲージ車両を運行)し、秋休みには道内のローカル線を調査旅行を行い、卒業生を「追い出す」鉄道の旅に出かける…といった活動でした。
高校3年生の学校祭が終わると、カナダの高校へ留学に行きました。お世話になった家族は、隣の家まで数km離れた家で、そこからスクールバスで学年20人前後という、小さな学校に通いました…という高校生活を過ごした自分が、「なぜ下川町で?議長?」となるのですが、鉄道研究部の元治先輩からの依頼文には、「地方議会の議長としてのあれこれ」というテーマなので、おもに2023年の5月頃からのお話ということになるかと思います。
先述しましたが、下川の隣町、名寄市でのFM局の立ち上げに携わり、約束の3年を過ぎて退職した後「次は何をしようか」と模索していたところ、たまたま町議会選挙ということで地域の人から声が掛かり、無投票で町議に初当選となりました。その後、落選したり返り咲いたりとあって、昨年の4月に3期目の当選となりました(こちらも無投票でした)。
議長というのは、就任してみると、思いのほかに忙しいというのを実感しています。それまでは、さまざまな議会活動の場面(議場や委員会審議での質疑や調査活動など)を通して、より良い町の実現に向けて提言していくといったことに注力していました。
ところが、いざ議長となると、議会事務局からは「週に2回は来るように」とのことで役場庁舎に足を運ぶ回数が圧倒的に増えました。議長室の自席に積まれた各種文書に目を通し、決裁文書に押印するといった事務作業のほか、議会運営の打合せ、町長など執行部との協議や打ち合わせなどが待ち受けています。「議長のあれこれ」ということだと、広域の期成会や議長会といった会合も多くあります。当然、町内外の各種会合に議会を代表して出席するということもあります。下川町でも様々な団体が活動していて、それぞれの総会や会合があり、そこに来賓として出席する機会が多いです。商工会や観光協会のほか、進出企業(スズキ自動車)を支える会、そして「スキージャンプの下川町」ということで、先日も葛西紀明選手や伊藤有希選手といった下川出身のジャンプ選手の激励会などもありました。
(敬老会での挨拶文を執筆中の)今もそうですが、そういった場面で挨拶をする機会も圧倒的に増えました。慣れない場面での挨拶なので、失敗しないように言葉を選ぶと、自分の前に話す主催者や、他の来賓の方と内容が重複したりすることも多々あります。苦労して書き上げた祝辞も、後日の記事には、「来賓の我孫子議長も祝辞を寄せた」という1文で紹介されることもしばしば…。
ふるさと会(札幌と東京の「下川会」)の会合にも出席することも増えました。「下川で生まれて札幌で暮らす」方々に対し、「札幌で生まれて下川で暮らしている」挨拶をする不思議さを感じました。また、町長と2人で出席すると「2トップが来てくれました」と先方に挨拶されて、そんなふうに受け止めているのかと戸惑うことも多いです。
とはいえ、下川暮らしも20年を過ぎると、いつの間にか自分の感覚では、生活のベースには下川での生活があるようになってきました。季節感(暖房やタイヤ交換のタイミング)、暮らしの雰囲気(人の少なさ)、徒歩移動の距離(たまに札幌や東京で歩くと、足が棒になります)など、どんどん「札幌生まれ」というよりは「下川のひと」という感じになりつつあります。この感覚を町外へ発信していくことが大事なんだと思っています。
もちろん、今までに経験してきたことや、その中で培ったネットワークや、そこから得られた情報などを町内で共有していくことも、自分に与えられた役割なんだと自覚して、これからの日々を過ごしていきたいと思っています。
鉄道研究部の調査旅行で、名寄本線の列車に乗って通過したときは、まさかこの町で暮らすとは思っていませんでした。しかし、その後のカナダ留学、大学での学びで芽生えた「札幌から離れて暮らして北海道を見たい」という思いが、こうして今の自分につながっているのかもしれません。だらだらと書き綴りましたが、『もっと北の国から2024年秋』というタイトルがいいのか、『気が付くと下川暮らしも20年。町議会の議長になりました』というタイトルが良いかはわかりませんが、2回目の六華だよりの執筆をそろそろ切り上げて、明日の敬老会での祝辞の執筆に戻ろうと思います。
我孫子 洋昌(あびこ ひろまさ)
国際基督教大学大学院博士前期課程、松下政経塾を経て2003年から3年間、地域FM局「エフエムなよろ」の初代放送局長。11年から下川町議会議員となり、23年に議長に就任した
第105号 の記事
2024年10月1日発行