六華だより100年の歩み その6=51~60号
六華だより100年の歩み その6=51~60号
会報誌の半世紀をたどる連載「六華だより 100号の歩み」。6回目は1997年(平成9年)10月1日発行の第51号から2002年(平成14年)3月1日発行の第60号までを振り返ってみましょう。
会報発行委員会
世紀末の大業
2000年(平成12年)10月1日、20世紀最後の六華だよりとなる第57号が発行されました。副題は「甲子園大会出場記念号」。この夏、札幌南高校野球部は全国高校野球選手権南北海道大会で優勝。高校球児の聖地ともいえる甲子園球場に、旧制札幌第一中学時代の1939年(昭和14年)以来61年ぶりに出場したのです。8月9日、優勝候補筆頭のPL学園と対戦し、0-7で破れたものの観衆3万5千人を前に最後まで諦めない堂々とした戦いぶりをみせました。
六華だよりでは部長の武田健二先生が「まるで雲の上のような存在であったはずのPL学園の選手たちを相手に、実によく戦った」と振り返り、監督の松田晃先生が「生徒たちと心底楽しめた2時間だった。この時間を共有できたことを感謝します」と記しました。「これからは甲子園は夢ではない」と書いた主将の田畑広樹さん(南51期)は2018年に母校に教諭として赴任し野球部監督に就任。「最後まであきらめず楽しく投げることができた」と記したエース皆方等さん(南51期)は北海道テレビ放送(HTB)のディレクターとしてスポーツ中継の一線で活躍しています。
このときは特別後援会の会長を務めた堂垣内尚弘元北海道知事(中36期)、1939年の出場時に遊撃手だった内科医加藤富男さん(中44期)も甲子園で試合を見守りました。加藤さんは、南高には他県からのいわゆる野球留学がいないことにふれ「他の公立高校の選手への刺激にも成った事と思います。南高野球部の選手諸君有難う」と記しました。
なお、この年は定時制バスケット部が全国ベスト4に進出、バドミントン部が全国大会に出場するなどの活躍を見せてます。
学区再編
「特集 南高への入試が変る」。1999年(平成11年)3月1日発行の第54号では2000年から導入される公立高入学試験での通学区域の細分化を取り上げました。当時の公立高入試では、石狩管内の場合、5学区が設けられていました。このうち第1学区を2分割、第2学区を3分割し、計8学区とする内容です。札幌南高校は当時、石狩第1学区に含まれておりましたが、新制度では、中央区の東半分と南、豊平の両区が新1学区、白石、厚別、清田の3区が新2学区とされることになりました。
特集では、新制度の説明に加え、学校間格差をなくす方向だった都立高校が「進学重視」に切り替えていると指摘。さらに会報発行委員長の「私見・主張」を掲載しました。現在100人以上が進学する白石、厚別、清田の3区は分割後の新制度では定員の20%以内の制限がかかるため、入学可能枠が80人に減ってしまうことなどを取り上げ、「高校への進学の自由を奪わないで欲しい」「個々の特性を伸ばしお互いに足りない所を補完し合う事が真の平等だろと思う」と訴えました。
通学区域をめぐっては1950年(昭和25年)以降、公立高の普通科については1校1学区とされており、64~65年(昭和39~40年)は道内98学区が設けられていました。66年に道内8学区とする「大学区制」に一転、73年からは同21学区(石狩管内は2学区)となり、82年からは51学区(同5学区)となっていました。なお、現在は全道19学区に再編。石狩管内の場合2009年から全学区が統合され「石狩学区」として今に至っております
歴史も現在も
前号で紹介したとおり、母校は1995年(平成7年)、創立100周年を迎えました。これを機に作成された「百年史・北海道札幌南高等学校」の発刊のお知らせが1997年10月1日発行の第51号に掲載されております。通史、資料編、卒業生の回想、座談会からなる4部構成。A4判の千ページを超える大作です。「北海道の百年史ともいうべきすばらしい内容で圧倒されました」「我が青春を思い返し、忘れていた先輩・友人の名を思い出し感慨ひとしおです」など、すでに反響が続々寄せられているとのことでした。
その記事と同時に、校地内の百周年記念館の1階に設けられた「六華同窓会史料室」の完成のお知らせも掲載されました。同年8月の学校祭で公開したところ、早速約450人の来館者があったとのことです。
歴史も現在も紹介するのが「六華だより」。2001年10月1日発行の第59号には小林正人さん(中50期)が「雪戦会」について寄稿しました。翌年3月1日発行の第60号では、前年8月の第10回全国高校漫画選手権大会(まんが甲子園)で実行委員会会長賞に輝いた漫画・アニメーション研究部の受賞作品を掲載しています。
第105号 の記事
2024年10月1日発行