六華だより

選ばれし殿方、日本舞踊を踊る

第105号

尾崎 伊智朗(南36期)

 生まれてこの方、芸能とは無縁だった自分が、小樽で千人もの観客の前で日本舞踊を踊ることになった経緯をご紹介したい。 

 2021年6月の人事異動により小樽での勤務が始まったのだが、2022年になりコロナ禍もようやく落ち着き、小樽の夏の風物詩である潮まつりが3年ぶりに開催されることになり、私の職場である北電グループも、まつりを盛り上げるために参加することになった。 

 以前勤務していた千歳の夏祭りは、北海盆踊りで街中を練り歩くスタイルであり、北海道人としては非常に馴染みやすかったのだが、小樽の潮まつりはオジリナルの踊りで、しかも潮音頭、潮踊り唄の二つの踊りがある。参加するからには恥ずかしくないようにと思いつつも、どうすれば良いかと思案していたところ、当時入会していた小樽ロータリークラブの方から、「尾崎さん、北電さんも久しぶりに踊るんだから、きちんと先生に踊りを教わったほうがいいよ」とアドバイスをもらい、藤間流日本舞踊の師匠である藤間扇玉(せんぎょく)先生をご紹介いただいた。

 扇玉先生、そして先生の娘さんの扇久華(せんきょうか)さんを初めとしたお弟子さんの方々に会社に来ていただき、会議室を利用して社員を集めて何度かお稽古をつけてもらった。先生からは「尾崎さん、筋がよろしいですね」とかおだてられながら気持ち良くお稽古し、潮まつりの当日も無事踊り終え、楽しい思い出となった。

 年が明けて2023年のお正月、扇久華さんからあるお誘いがあった。扇玉先生が会長をされている「小樽伝統文化の会」主催で「和を遊ぶ」という行事がこれまで10回以上続いており、コロナによる中断を挟んで4年振りに開催するとのこと。日本舞踊、詩吟、邦楽、民謡など伝統的な芸能を披露する会だが、その中に数年前から「選ばれし殿方による日本舞踊」という演目があるので、もし良ければ出演してもらえないかとのことだった。日本舞踊ということで一瞬戸惑ったものの、「潮音頭に毛が生えたぐらいのものですから・・・(実際は大違いだったと後で分かるのだが)」との扇久華さんのお言葉もあり、また「受けたお誘いは断らない」という自分のポリシーもあり、内容も良く分からないながらも軽い気持ちで引き受けることになった。
 
まずは、2月に先生方や他の出演者との顔合わせ。そこには、直前に開催された小樽六華同窓会でお会いしていた、おたる政寿司会長の中村全博先輩(南17期)がいらっしゃった。中村先輩は、過去に4回ほど行われていた殿方による日本舞踊には最初から出演していて、遂には扇玉先生に弟子入りして日本舞踊を習っているとのこと。その他は、製缶会社の工場長、FMおたるのアナウンサー、ブティックの店長、弁護士、医師、など小樽の様々な分野からまさに「選ばれし殿方」が集まった。 

 3月からは、毎週水曜日の6時から、定休日の政寿司本店の大広間を使ってのお稽古が始まった。最初のお稽古では、扇子を使った挨拶の仕方に始まり、扇子の持ち方、開け閉め、帯への差し方、歩く際の衿の握り方や、扇子の扇ぎ方、といった基本の所作を教わる。その後は、今回の演目である「令和かっぽれ」の踊りを徐々に教わっていった。ただ、お稽古の帰り道が小樽の繁華街、花園町なので、ついビールなんかを飲んで気持ち良くなって帰ると、せっかく習った踊りの内容を翌朝にはほとんど忘れてしまう。一度、家で復習しようかと思ってお稽古の様子をビデオに撮ろうと思ったが、先生からは「お稽古で覚えて下さい」とのことなので、なんとか体に染み付くよう懸命に覚えていった。

 仕事の都合などで水曜日のお稽古に出られない時には、別の日に小樽駅前の中央市場の2階にある扇玉会のお稽古場で、先生のお弟子さんのお稽古が終わってから、先生から1対1でお稽古をつけてもらうこともしばしばあった。開け放れたお稽古場の窓からの初夏の風を受けながら、窓の下には小樽の裏通り、その中で先生からのご指導を受けて踊る自分。今思い出しても、本当に素敵な体験だった。

 また、途中で「これは難しすぎてついていけない」という人も出てきそうになったが、殿方同士でお互いに励まし合い、たまには一緒に飲みに行って慰めあい、次のお稽古で頑張ろうと誓う、というように、何だか学生時代の部活のような雰囲気も味わえた(ちなみに私は高校時代はボート部でした)。

 このように、扇玉先生をはじめ、お弟子さん方に熱心にお稽古をつけてもらったおかげで、5月中頃には一通り踊りを覚えやれやれとなったものの、そこからも、踊りの中での所作について更に細かい指導をいただいたり、本番の舞台である小樽市民会館のステージを使って舞台上の立ち位置を覚えたり、レベルを上げてのお稽古が続いていった。

 その間にも「和を遊ぶ」という行事自体を盛り上げるための仕掛けも進められていった。

市内のあちちにこのようなポスターが貼られました

 4月には、プログラムなどに使う写真用ということで、お稽古が始まる前にメイクと着付けをしてもらい、カメラマンによる写真撮影があった。この写真を使って、小樽市内のあちこちに7人の写真を載せたポスターが貼られていった。また、「和を遊ぶ」のFacebookグループが立ち上がって「選ばれし殿方」が写真で紹介されると、小樽市内外の方々からたくさんの「いいね」をもらった。さらには、北海道新聞や、地元のメディアである小樽ジャーナルやFMおたるからもお稽古中に取材を受け、記事や番組で紹介された。そうなると、街中に噂が広まり、いろいろなところから「尾崎さん、踊りに出るんだって?!」とプレッシャーがかかるようになってきた。あるスナックのママさんからは「尾崎さんのあの写真、良く写ってるから遺影にしたらいいよ!」とも言われてしまう始末。

 また、扇久華さんは、小樽で発行されている「月刊おたる」の編集長もつとめており、5月号で2ページにわたり殿方の紹介記事が写真付きで掲載された。この記事の威力は大きく、私の実家恵庭に住んでいる母親の元にも、月刊おたるを見た知り合いから「お宅の息子が小樽で日本舞踊を踊るようだ」との通報(?)まで入ってしまった。

 歌舞伎のような大向うからの掛け声も、踊りを盛り上げるためには欠かせないのだが、これは自分の部下にお願いして引き受けてもらった。彼には、何度かお稽古に付き合ってもらい、「政寿司!」、「中村屋!」、「ほくでん!」という掛け声を練習してもらった。

 このように、殿方のお稽古も小樽市内も盛り上がっていく中で、ようやく迎えた6月9日の本番。

2024年「和を遊ぶ」の舞台にて:藤間扇玉先生(前列中央)、中村全博先輩(先生の左)、筆者(前列右端)

 当日は、朝早く会場となる市民会館に入り、まずは先生に従って舞台の清め式。その後は「和を遊ぶ」の他の演目が行われている間に、殿方が順番に本番用のメイク、衣装である浴衣の着付けをしてもらい、控えでお互いに細部の所作の確認をしながら、プログラム中盤の我々の出番を待つ。

 そして、とうとう出番。日本語・英語での演目の紹介の後に緞帳が上がると、会場ほぼ一杯のお客さんが目に入り一瞬焦るものの(後で聞くと、千人近くの観客が入っていたとのこと)、踊りが始まってしまうと、二十数分の舞台はあっという間に終わってしまった。

2024年潮まつりふれこみ終了後:藤間扇玉先生(前列中央)、中村全博先輩(先生の左)、筆者(先生の右)

 その後は、7月末の潮まつりにも扇玉先生からお誘いがあり、金曜日に開催される「ふれこみ」には藤間扇玉会の社中として、土曜日に開催される「ねりこみ」には「和を遊ぶ」の梯団として殿方一同で参加して踊りを楽しんだ。また、年が明けてからも、今年の「和を遊ぶ」にも先生に選ばれ、札幌からお稽古に通いながら無事舞台に立つなど、すっかり日本舞踊を楽しんでいる。来年も踊ることになるかは・・・扇玉先生からのお声掛け次第というところでしょうか。

文中紹介記事等のリンク

【小樽ジャーナル】

4年ぶりに和を遊ぶ 6/11小樽伝統文化楽しむ

第12回和を遊ぶ 小樽市民会館で伝統文化共演

第13回和を遊ぶ6/9開幕 稽古にも熱

小樽市内の伝統文化が集結!第13回和を遊ぶ

【北海道新聞】 

伝統芸能継承の小樽10団体集結 日舞や詩吟、民謡など9日上演 250人出演:北海道新聞デジタル

小樽に息づく伝統芸能 市内10団体、日舞や詩吟披露:北海道新聞デジタル

【Facebook】 

和を遊ぶ 小樽伝統文化の会



尾崎 伊智朗(おざき いちろう)

恵庭市出身
東京大学工学部計数工学科卒
ミシガン大学ビジネススクール修了(MBA)
1990年北海道電力入社。千歳支社長、小樽支店長などを経て2023年7月より資材部長。