六華だより100号のあゆみ その8 71~80号
連載「六華だより100号の歩み」は、六華同窓会の会報誌の半世紀を振り返る企画です。8回目の今回は2007年(平成19年)10月1日発行の第71号から2012年(平成24年)3月1日発行の第80号を振り返ります。
会報発行委員会
学校林活動に農林水産大臣賞
枝打ちに下草刈り。森の中で作業したことを、多くの同窓生が今も覚えていると思います。札幌南高等学校林は母校から南東へ約12キロ。札幌市清田区有明の白旗山の一部、約120ヘクタールに広がっています。六華だより第71号では、この学校林の取り組みが、全日本学校関係緑化コンクールの学校林等活動の部で、最高賞の「特選」に輝いたことを取り上げています。
表彰の対象となったのは、国蝶オオムラサキの餌となるエゾエノキ林の育成活動。1996年(平成8年)から2013年(平成25年)まで定時制の理科教諭を務めた箱﨑陽一先生(2018年死去)が中心となり、学校林から10キロ圏内に偶然発見されたオオムラサキの繁殖地を守るため、豊かな生態系を育む森林づくりを進めてきました。
表彰式は2007年6月24日に苫小牧市内で開かれた全国植樹祭で行われ、農林水産大臣賞を受賞しました。六華だよりで箱﨑先生は、学校林周辺には藻岩山、長沼、栗山、浜益に点在的に見られるのみとなったオオムラサキは「以前は札幌周辺全域に生息していた」と指摘。学校林活動を、こうした環境を少しでも取り戻すための「環境林としての新たな取組」と紹介しています。
なお、学校林は「一般財団法人札幌南高等学校林」が所有、管理しています。学校林の誕生は1911年(明治44年)に遡ります。当時の皇太子(後の大正天皇)が北海道の行啓の際に「札幌中学校」も来校されたことを長く後世に伝える記念事業としてはじまりました。1956年(昭和31年)に財団法人となり、2011年(平成23年)に現在の一般財団法人に移行しました。この経緯は2011年(平成23年)3月1日発行の第78号に記されています。

初の女性副会長
男子校として誕生した母校が共学校となったのは1950年(昭和25年)。それから半世紀以上を経た2008年(平成20年)11月、六華同窓会初の女性副会長が誕生しました。札幌市中央区の出版社「亜璃西社(ありすしゃ)」代表取締役、和田由美さん(南18期)。2009年(平成21年)3月1日発行の第74号に就任挨拶「風穴は開けられる?」が掲載されました。
和田さんと言えば、東京の「ぴあ」に続く全国2番目のタウン情報誌「ステージガイド札幌」の月刊誌創刊に携わり、編集者・エッセイストとして活躍。「さっぽろ酒場グラフィティー」「さっぽろ喫茶店グラフィティー」など多数の著書で知られています。
挨拶文では「あれよあれよという間に女性初の副会長という大役を担うことになった訳です。自分でも未だ信じられません。が、南高における男女共学の人数も半々になっているという時代ですから、私が女性役員の突破口となり、新風を吹き込むことが出来れば、これに勝る喜びはありません」と記しました。
現在の六華同窓会会長はフリーキャスター・フードジャーナリストの林美香子さん(南22期)。フロントランナーだった和田さんが副会長になって14年後の2022年10月に就任しました。林会長は、就任あいさつに、会長との打診を受けて悩んだが「和田由美先輩とも相談して、お引き受けすることとしました」「女性活躍推進のために少しでもお役に立てれば」と記しています。

モエレ沼公園と同窓生
札幌市東区にある総合公園「モエレ沼公園」。1982年(昭和57年)に着工し、2005年(平成17年)にグランドオープンを迎えました。世界的な彫刻家・造園家イサム・ノグチ氏(1904~88年)の遺作にして金字塔とも言われる場所にも、六華の同窓生が多く関わっています。
設計統括を担ったのは設計事務所「アーキテクトファイブ」。松岡拓公雄(たけお)さん(南21期)=元亜細亜大都市創造学部長=が設立した共同経営型事務所です。
モエレ沼公園にノグチ氏が関わるようになったのは1988年から。しかしノグチ氏は同年、マスタープランを残して急逝しました。松岡さんは第74号に寄せたリレー随想「札幌モエレ沼公園完成までの歩み、そして」でその経緯を記しています。
当時の板垣武四市長(中37期)とノグチ氏をつないだのは、かつての「サッポロバレー」の立役者の一人でソフト会社ビー・ユー・ジー(現DMG MORI Digital)の創業者、服部裕之さん(南25期)。札幌市厚別区のテクノパークに立つ同社の社屋を手がけたのがアーキテクトファイブでした。服部さんにノグチ氏を紹介したのが松岡さん。松岡さんの師匠で「世界のタンゲ」と呼ばれた建築家丹下健三氏(1913~2005年)が、ノグチ氏と親しい関係でした。
リレー随想で松岡さんは「(急逝したノグチ氏の)遺志を継ぐべく我々の活動は加速された」「両親の住む札幌の大地に未来の子供たちと世界に誇れる公園をイサムノグチと共に実現させたことは自分にとって大きな節目であり、故郷に錦を飾った気持ちだ」と記しています。

第107号 の記事
2025年10月1日発行