社会人、「医療倫理」(とビールのおいしさ)を世界で学んでみた
林(大関)令奈(南44期)
「限られた新型コロナワクチンを誰にどのような順番で接種すべきか?」「人には死を自分で選択する権利があるか?」このような問いにすぐに答えられるでしょうか。単に医学的知識だけでは解決できない、多様な価値観や倫理的な要素が絡み合う複雑な課題を取り扱う分野に「医療倫理」があります。
私は、南高卒業後、札幌医科大学を経て、消化器内科と緩和医療の臨床医として働いていました。その中で「よい医師とは何か?」「よい死とは何か?」といった根源的な疑問に突き当たりました。その疑問を解き明かす手がかりを探し続ける中で、「医療倫理」という分野に出会い、ズブズブとその世界に引き込まれていきました。もっと系統的に学んでみたいと願っていた矢先、米国、英国、ドイツの3カ国で医療倫理を学ぶチャンスに恵まれました。
留学中に海外で遭遇したさまざまな経験をSNSで友人に共有したところ、同期から「ぜひこの体験を南高同窓生にも共有してほしい」とお誘いをうけ、ここで共有させていただくことになりました。少しの間ですが、お付き合いいただければ幸いです。
ハーバードで推しの生命倫理学者に会う
留学は、米国のハーバード大学の生命倫理学の修士課程から始まりました。欧米では社会人大学院生は珍しくなく、同級生の約3割が医療従事者や社会人経験者でした。生命倫理の経歴は、AI開発企業や医学部への進学へも有利で、そのような進路を目指す学生もいました。
最初の数ヶ月は、授業の内容が全く理解できず、落ち込みました。ドイツ留学経験のある友人から「飼い犬にまで嫉妬した(飼い主のドイツ語の指示を理解できるから)」という話を聞いたのを思い出しては、帰宅途中の飼い犬に嫉妬しました。みかねた指導教官が「あなたは次の進学のためによい成績を取る必要はない。だったら、学びをエンジョイしなさい!」とアドバイスをくれて、はっとしました。どんな素敵なアイドルに会うよりも、世界的に有名な生命倫理学者に会えると大興奮する私が、(推しの生命倫理学者までいる)ハーバードで、楽しまなければもったいない!と、気持ちを切り替えました。
コースの教員は驚くべきことにほぼ全員女性でした。生命倫理学が社会で抑圧されてきた声を言語化する分野としても発展してきたことが、この男女比率に影響しているのかもしれません。ちなみに、日本の医療倫理の教員は90%が男性です。日本ではなかなか出会えないロールモデルとしての女性教員たちの存在は大きな励みになりました。
また、海外での学びには常に「日本ではどうなのだろう?」と考える時間がありました。「動物倫理」の講義では、出身国の慣習を話す機会があり、日本の食事前の「いただきます」や、「お肉」「お魚」と食べ物に敬意を表すことなどを、日本に留学経験のあるメキシコ系アメリカ人の同級生が発表してくれました。これは、同級生たちにとっても面白い視点だったようで、しばらく「いただきます」を言うことがブームになりました。
オックスフォードでパブに通う
2022年10月から、英国のオックスフォード大学に移り、研究員としてさらに深く学ぶ機会を得ました。偶然にも日本文化に詳しい指導教官と繰り返し議論するなかで、当たり前すぎて意識していなかった日本文化の中に、外国人の視点から見ると大きな意義をもつものがある可能性に気づくことができました。この経験は、私に医療倫理の分野で日本独自の価値観を発信する使命感をもたらしました。その試みとして執筆したのが、医療における「親身」という言葉の意味を倫理的に分析した論文です(Ozeki-Hayashi 2023)。所属教室では、毎週金曜日に向かいにある老舗のパブに行くという習慣がありました。オックスフォードでは、社交活動としてパブで議論を交わして、さまざまなひらめきを得たり、人脈を作るという文化が古くからあるそうです。この習慣はぜひ日本に持ち帰りたい!と心から思いました。
ドイツで死ぬ権利と(結局)ビールを学ぶ
最後に訪れたのはドイツのマルティン・ルター大学(ハレ−ヴィッテンヴェルグ)でした。わずか3ヶ月の滞在でしたが、英米との違いを強く実感しました。特にドイツ東側であったこともあるのか、いかにもドイツという雰囲気(独特の規則と美味しいビール)はとても刺激的でした。滞在中、第二次世界大戦以降ドイツではほぼタブーとされてきた「安楽死や死の幇助」について、「死ぬ権利を認めないことは、憲法違反である」という判断が、ドイツ国内を揺るがしていました。私の指導教官は「死の幇助」に関する医師向けのガイドライン作成のプロジェクトリーダーであり、彼から現場の声を聞くことができたのは、今後の日本の議論にもおおいに参考になると感じました。
世界中に六華!
留学中、どこにいても六華の仲間たちと出会う機会がありました。「南高」という共通点だけですぐに意気投合できる絆の強さを改めて感じると同時に、自分の中に確実に南高の血が流れていることを実感しました。ちなみに私は六華麦酒部に所属していますが、この2年半はかなり積極的に活動に力を入れたことをご報告しておきます。
最後に
社会人になってから3カ国で留学生活を送るという経験は、非常に貴重で幸せなものでした。その濃密な時間を通じて、私のものごとを見る解像度は少しだけ上がり、だいたいのことには動じないタフさを得ることができました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。書ききれなかった面白い話がまだまだありますので、いつかお会いしたときにでも、お話しできることを楽しみにしています。
札幌南高、札幌医科大学を卒業後、道内で消化器内科医として勤務、2009年より筑波メディカルセンター病院にて緩和医療のトレーニングを受ける。訪問診療医として勤務しながら、2011年東京大学大学院公衆衛生学専門職修士課程、2018年同医学博士課程修了。2022年Harvard Medical School, Master of Science in Bioethics修了。現在、大阪大学大学院医学系研究科医の倫理と公共政策学助教。
第106号 の記事
2025年3月1日発行