六華だより

生物学者、宇宙飛行士選抜への挑戦

第103号

明楽 隆志(南55期)

 妻「宇宙飛行士選抜、受けてみたら!?」

宇宙旅行には行きたかったが、職業宇宙飛行士は夢のまた夢だと思っていた私にとって寝耳に水の提案だった。2021年11月のことである。4000人以上から2名しか選ばれない超難関の選抜過程。提案された当初は正直あまり気乗りしなかったが、行けるとこまで行って選抜過程を楽しめれば、と比較的気軽な気持ちでこの挑戦は始まった。選抜の過程で最初に待ち構えていたのは、書類選抜と英語試験。この最初の関門を通過した1000人が次に立ち向かうのが、(個人的に)最難関だったSTEM+教養試験(数学、地学、物理学、生物学、化学、世界史、日本史、地理、政経、倫理、小論文)である。普段は米国ワシントンDC郊外で研究生活を送っているため、妻が試験対策の問題集を日本から取り寄せてくれ、二人三脚で試験勉強に励んだ。研究生活と受験生活の両立は容易ではなかったが、札南時代、弓道部で鍛えた集中力や忍耐力が久々の受験勉強で活かされた。この歳になっても、まだ受験勉強ができるということは新鮮な驚きだった。試験はコロナの影響でオンラインで実施されたため、私はアメリカでの受験。時差のため夜8時から翌朝3時までというタフなスケジュールとなった。眠気覚しに、休憩時間に階段ダッシュを繰り返したのは今では良い思い出だ。試験から三週間後の2022年6月下旬、無事に試験を突破したという通知を受け取り、ようやくこれで0次選抜を通過。そう、書類選抜からSTEM試験までを引っくるめて0次選抜と呼ぶのである。一年以上に渡る長い選抜過程のまだまだ序盤であることを印象付けるが、この時点で残っていた受験者数は約200人、全応募者数の5%まで減っていた。

 続く1次選抜、2次選抜ではプレゼンテーション能力やグループワークでのリーダーシップ、フォロワーシップを試される課題、体力テスト、そして健康診断が実施された。一つ一つの課題は難しいものでは無かったが、膨大な量のテストで受験者の人間性やスキルを隅々までチェックされているようだった。2次選抜からは、いよいよ対面での試験となり他の受験者と実際に知り合いになり、切磋琢磨しながら試験に挑んだ。競いあっているはずの受験者同士が次第に応援し合うようになり、最後にはOne Teamとして選抜を駆け抜けることができたのは、とても貴重な経験だった。2次選抜を受験したのは50人。ここを突破すると10人だけが挑むことができるファイナルラウンドの3次選抜となる。2022年クリスマス、選考委員会の方からの電話で3次選抜に進めることが伝えられた。ものすごく嬉しかった反面、ここまで来るといよいよ「宇宙飛行士に転職」する現実味が増してきた。職場で打ち明けるタイミングなどに悩みながら3次選抜の対策に明け暮れる年末年始となった。


閉鎖環境から出た直後の筆者。JAXA筑波宇宙センターにて

 2023年1月、3週間の長丁場となる3次選抜が幕を開けた。漫画『宇宙兄弟』などでもお馴染みの一週間に渡る閉鎖環境適応試験のほか、米国ヒューストンのNASA Johnson Space Centerでの試験も実施され、宇宙飛行士に選ばれた際の訓練生活が垣間見える内容だった。この選抜を受験していなければ一生経験できないような貴重な体験ができる夢のような時間であった。他の9人のファイナリストはそれぞれ異なるキャリアを歩んできたが、みんな宇宙に行きたいという共通の夢を持つ素晴らしい仲間であった。選抜試験の最終日、全員が無事に長丁場の3次選抜を消化し切れたことを祝して10人で打上げに行った。選抜試験の思い出を語り合いながら “この中からなら誰が選ばれても納得がいくな” と心から思った。


NASA Johnson Space Centerにてファイナリスト全員で記念撮影(筆者は左下)

 3次選抜試験が終わった後、最終結果の通知まで約一ヶ月間の待ち時間があった。この一ヶ月の間のドキドキ感は筆舌し難いものがある。研究室をあと数ヶ月で閉じ、研究者としてのキャリアに幕を下ろす可能性が現実性を増してきた。研究室のメンバーに宇宙飛行士に選抜される可能性(つまり研究室を解散する可能性)について打ち明けたところ、意外にも私の挑戦を応援してもらえた。宇宙好きの研究所の所長には、選抜されても研究所に籍を残し、共同研究する可能性を提案してもらえた。いよいよ職場内でも宇宙飛行士選抜への機運が高まり、私の中でも「宇宙飛行士に転職」する覚悟ができた。

 2023年2月末、遂に結果発表の日が訪れた。日曜日の夜に電話がかかってくる予定だったので、その週末は何も手が付かず、ずっとそわそわしていた。日曜日の21時、携帯電話が鳴る。スピーカーモードにして家族全員で結果を聞けるようにする。まずは選考委員会の方から、選抜を受験してくれたことに対する感謝の意などが5分間ほど伝えられた。そして、いよいよ本題へ…
「残念ながら、今回は選抜には至りませんでした」
この一言で私の宇宙への挑戦はひと区切りすることになった。私からも選抜に関わった方々への感謝の気持ちを伝え、電話を切った。10人の中で誰が選ばれても良いとは思ってはいたものの、落選の通知は悔しいものがある。張り詰めていた糸が切れたかのように放心状態が続き、その夜はなかなか眠れなかった。当初は気軽な気持ちで挑戦を決めたはずの宇宙飛行士選抜。いつの間にか、随分とのめり込んでいた自分に気が付いた。この歳でも全く新しいことに挑戦できたことは、大きな収穫だった。

 翌日、すぐに選抜結果の記者会見が開かれた。選抜された諏訪さんと米田さんが記者からの矢継ぎ早の質問に堂々と答えていた。国家としての宇宙戦略や税金を使うことの意義に関する厳しい質問もあった。質疑応答の様子を画面越しに見ていると、先ほどまでの悔しい気持ちは不思議と薄れていき、国の期待を背負って宇宙飛行士として活動することの責任の重さをひしひしと感じた。――国を代表する準備は自分には出来ていなかった。彼らが選ばれて本当に良かった――
その後も、宇宙飛行士として活躍し始めた彼らの様子をニュースで目にしながら、自分の気持ちの整理も段々と着いていった。

 一年以上に渡った宇宙飛行士選抜。今回の挑戦を終えて宇宙への興味・宇宙に行きたい気持ちは一層強まった。一方で、国を背負う職業宇宙飛行士が果たして自分に向いているのかという疑問も湧いて来た。これらの心境変化を踏まえ、今後は民間宇宙産業を通じた宇宙飛行など、自身の研究キャリアを継続しながらも宇宙に行く方法を模索していく予定である。また、宇宙には行かずとも宇宙医学・宇宙生物学の研究分野に貢献できないかを検討中だ。手始めに、この秋からNASAのプログラムに半年間参加し、宇宙環境での生物実験の基礎を徹底的に学ぶことが決まった。新たな挑戦が、また始まろうとしている。


明楽 隆志 (あけら たかし)

2014年, 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻にて博士号を取得後, 米国ペンシルベニア大学にて博士研究員.

2019年, 米国National Institutes of Health (NIH)にて自身の研究室を立ち上げ, 細胞分裂と進化の研究に明け暮れる.