札南ラグビー部の挑戦
佐々木 雄(南44期)
南44期の佐々木雄と申します。札幌南高校でラグビー部の顧問をしております。
ラグビー部では、OB&OG会のご支援の下、今年2月25日よりクラウドファンディングを行い、無事目標金額であった2,000,000円を達成することができました。六華同窓会の皆様からもたくさんの寄付をいただいております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。
今回、このクラウドファンディングについて寄稿する機会をいただきましたので、札南ラグビー部の歴史を交えながら、皆様へのお礼の気持ちを込めて、文章を書かせていただきます。
札南ラグビー部の歴史は昭和38年にまで遡ります。札南の125年記念誌や、当時ラグビー部の部員であった小児脳神経外科医の高橋義男さんをモデルにした漫画「義男の空」には、創部当時のラグビー部の様子が書かれています。同好会からスタートしたラグビー部は、初心者や助っ人の集まりで最初は全く勝てなかったようですが、練習や戦術を工夫し、すぐに強くなっていったようです。しかし、部員の一人が亡くなってしまったことがきっかけとなり、昭和40年に解散してしまいます。
その後21年間は、ラグビー部が存在しない状態が続きましたが、南38期の高荷力さんを中心にラグビー部を作りたいという生徒たちが集まり、昭和61年にラグビー部は再び活動を始めました。私は平成3年に札南に入学しましたが、初めての登校日に校門の一番前をラグビー部員が占拠し、他のどの部活よりも元気に新入生を勧誘していました。そのあまりに楽しそうな雰囲気につられグラウンドに足を運び、すぐに入部届を出したのを今でも覚えています。
この年は、北見北斗高校でラグビー部のコーチをしていた山田監督が札南に赴任した年でもあり、札南ラグビー部は躍進していきます。全道大会の常連校になり、平成15年、17年、18年には全道大会の決勝まで進みました。特に平成17年には日本代表で主将を務めるリーチ・マイケル率いる山の手高校相手に互角の戦いを繰り広げ、結果は、惜しくも0対7で敗れてしまいましたが、留学生を含め全国から生徒を集めている私立の強豪校相手に札南が挑み、最後まで激戦を繰り広げたことは大きな話題となりました。
このように花園を目指し挑戦を続けていた札南ラグビー部ですが、ラグビーが専門の指導者が不在になったことや少子化の影響で、部員の確保に悩まされるようになります。部員を15人集めることができず合同チームで大会に参加することが多くなりました。同じ時期に、札幌市の他の公立のラグビー部も次々に廃部になっていきます。
一方で、山の手高校を始めとする私立の強豪校は設備やスタッフを充実させていき、公立校との実力の差を広げていきます。平成29年にラグビーが専門の鈴木監督が札南に来てから部員は増え、なんとか単独チームで試合ができるようになりましたが、こういった札幌の高校ラグビーの事情により、ここ数年は公立校が公式戦で勝つことは、なかなか難しくなっています。
しかし、このような厳しい環境にあっても、現役のラグビー部の選手たちは、15人が一丸となって強敵に挑むラグビーというスポーツを愛し、全道大会を目指して練習に励んできました。ラグビーの高体連が行われる8月は、3年生は受験勉強の真っただ中の時期です。今や現役生の合格率が70%を超える札南で、最後までラグビーを続けるということは、簡単な決断ではありません。しかし、ほとんどの3年生が、高体連までラグビーを続けることを希望し、最後の大会に臨みます。このラグビーを通じて出会った仲間たちと、1日でも長くラグビーを続けたいからです。
このような生徒たちを見続けてきて、この生徒たちを何とか勝たせてあげたい、この闘う姿を多くの人に知ってほしいという思いが強くなりました。そして、ラグビー部OB・OG会から快諾をいただき、生徒の要望であった屋外部室棟の設置とグラウンドの改修費用を集めるためにクラウドファンディングにチャレンジすることになりました。ラグビー部のOBでもあった私が顧問の主担当になり、2021年の夏から企画の検討が始まりました。
実際にクラウドファンディングを企画してみて、一番苦労したのは、どのような「大義」で2,000,000円も資金を集めるのかということです。これだけの金額をラグビー部のOB・OG会の方々からの寄付だけで集めることは不可能でしたので、どのように訴えれば、支持者を広げていけるかがなかなか掴めませんでした。
7月に第1案を考えたものの、私の力ではアピールに欠ける内容しか考えられず、行き詰っておりました。そんな私に手を差し伸べてくれたのは、ラグビー部を復活させた現OB・OG会の会長である南38期の高荷力さんと、南39期の前野康次郎さん、本間幹英さんでした。
札幌に在住の前野さんと本間さんは、大変お忙しい中、時間を作り札幌南高校まで来てくださいました。お二人ともクラウドファンディングの発起人を快く引き受けてくださり、どのようなコンセプトでHPを作ったらよいのか、どのようにPRすれば、六華同窓会の方々にこのクラウドファンディングを知ってもらい、支持してもらうことができるのか、どのような返礼品が喜ばれるのかについて、たくさんの具体的なアドバイスをいただきました。
札南ラグビー部の創設期のメンバーであったお二人と、私は直接の面識がなかったのですが、お話をさせていただく中で、お二人とも札南ラグビー部を本当に大事に思っていてくださり、現役の選手たちのためにぜひ協力したい、という強い思いをもっていらっしゃることが伝わってきました。私自身、このクラウドファンディングを本当に成功させることができるのか、まったく自信がなかったのですが、お二人が最後まで全面的に支持してくださったことで、なんとかやりきることができました。
また、東京に在住の高荷さんは、私の原案を何度も読んでくださり、その都度的確なフィードバックをいただきました。特に私が一番苦労した、札南の関係者だけでなく、札幌市民やラグビーを愛する人々など、多くの人々を巻き込む「大義」をどうやって示していくかについては、一緒に文章まで考えていただきました。私の力では、この「大義」の部分をどうしてもうまく表現することができず、クラウドファンディングの開始予定日は何度も延期しましたが、今振り返ってみると、ここがクラウドファンディングの成否をわけた最も大切な部分であったと思います。
もうこれ以上は延期できないという最後の最後で出てきたのが、「札幌の公立校ラグビー文化の灯火、花園を目指す札幌南高校ラグビー部をご支援ください!」というフレーズでした。このままでは消えてしまうかもしれないこの灯火を、たくさんの方々の力をお借りして守り抜き、再び大きくしていきたい、という顧問とラグビー部OB・OGの思いを、なんとか言葉にすることができたと思います。クラファンの内容については、今でも下記のHPに掲載されていますので、もしお時間があれば読んでいただけると幸いです。
札南ラグビー部クラウドファンディングHP
https://actnow.jp/project/do-try/detail
こうして準備に8か月かかったクラウドファンディングは、2月25日にアクトナウのHP上にアップされ、スタートしました。最初は札南ラグビー部OB・OGを中心に寄付が集まり、その後はFacebook上の「六華応援ひろば」を見ていただいた六華同窓会の方々が多数寄付してくださりました。そして、2,000,000円達成までもう少しとなった時には、このクラウドファンディングは一般の方々にまで広がり、全国のラグビー関係者からも寄付をいただけるようになりました。こうして4月16日の最終日に無事、目標金額を達成することができました。こんなにもたくさんの方々が、札南の選手たちの頑張りや思いを受け止めてくださったことが、何よりも嬉しかったです。
このクラウドファンディングが開始した2月は、選手が12名しかおらず、4月に新入生がたくさん入部してくれないと、単独チームで大会に出場できないという厳しい状況にありました。部の存続も危ぶまれる状況の中、このようなたくさんの熱い支援をいただいたことは、ラグビー部の生徒たちにとって大きな励みとなりました。結局新入生が7名入部してくれて、今回の高体連は代表決定戦で惜しくも清田高校に8-10で敗れてしまったものの、単独チームで出場することができました。
今回のクラウドファンディングを通して強く感じたのは、六華同窓会の方々の、現役の生徒たちに対する熱い思いと、世代を超えてつながる絆です。私個人の力では、とうてい不可能な挑戦でしたが、札南ラグビー部OB・OGを始め、六華同窓会のたくさんの方々にご支援していただき、無事成功に終えることができました。六華の方々の力が集まれば、こんなにも世の中に大きな反響を生み出すことができるのだということを知り、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
私たちが札南の生徒であった時から世界は一変しており、先が見えない時代を生徒たちは過ごしております。しかし、一人ではできないことでも、多様で個性的な人間が集まり同じ思いで進んでいけば、不可能は可能になり、夢は実現するのだということを、ラグビー部の選手や在校生たちに伝えていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
これからも挑戦を続ける札南ラグビー部をどうぞよろしくお願いします。
札南ラグビー部ブログ
https://ameblo.jp/satsunanrugby2017/
佐々木 雄(ささき たけし)
1975年 北海道札幌市生まれ。
札南ラグビー部OB。大学卒業後一度路頭に迷うも、ニスコ進学スクールの講師、丸善の書店員を経て、2009年より北海道の高校教員(英語)となる。網走、雄武、留萌で勤務の後、2017年より札幌南高校に勤務。
第101号 の記事
2022年10月1日発行