六華だより

六華だより100号の歩み その2=11~20号

第101号

 1972年の創刊以来、50年。100号を超えた六華同窓会の会報誌「六華だより」の歩みを振り返ります。今回は1977年(昭和52年)9月20日発行の第11号から、1982年(昭和57年)3月10日発行の第20号まで。

会報発行委員会

親子でつづる連載企画

 青春時代を振りかえりつつ同じ学窓で学ぶわが子にエールを送る父母、その父母の思い出と時には重ね合わせ、時には比較しながら今の思いを率直につづる現役高校生。そんな親子で織りなす連載記事が第11号から第20号まで、ちょうど10回にわたって掲載されました。題してシリーズ「父と息子 母と娘が語る わが母校」。1回目では、札幌市中央区の名門塾「ボストン」創立者の坂井脩一さん(南6期)と、長男で同塾代表の坂井浩さん(南30期)がそれぞれ「今の若いものは…」「先輩-父へのメッセージ」と題し、学舎で学ぶ意義を論じています。
 ちなみに六華だより初の連載記事は、第10号から開始された「ニックネーム」でした。一中、一高、南高で教壇に立った先生方を、生徒間で呼ばれた愛称とともに紹介する企画です。連載2回目の第12号(1978年3月10日発行)には、山羊、閻魔、ターザン、チーターといった愛称が、似顔絵とともに並んでおります。


第13号の梁田貞さんの記事と、第11号からの連載企画「父と息子 母と娘が語る わが母校」

どんぐりころころ

 札幌南高校から北へ2㎞、札幌市立資生館小学校。日本の三大童謡の一つとされる「どんぐりころころ」の楽譜碑が、作曲者、梁田貞さん(中8期)の胸像とともに建てられています。第13号(1978年9月30日発行)には、童謡、校歌、歌謡曲と幅広く作曲を手掛け、音楽教師としても多くの学校で教鞭を振るった梁田さんをしのぶエッセイが掲載されました。執筆したのは奥田良三さん(中27期)。日本声楽界の草分け的存在であるテノール歌手で、昭和音楽大学の初代学長も歴任されました。エッセイでは、音楽を志して上京した梁田さんの姿を自らと重ねつつ、胸像と楽譜碑の建立の経緯などに触れています。
 「質実剛健」「文武両道」の教えをもとに母校を羽ばたき、さまざまな分野で活躍してきた先輩たち。六華だよりにはスポーツでの活躍も掲載されています。
「二十八年ぶりの全国優勝」の大見出しが躍る第17号(1981年9月30日発行)。当時2年生だった角田かおりさん(南32期)=現・土佐林かおりさん=が、インターハイ弓道女子個人戦を制しました。全国大会での優勝は1952年インターハイのバドミントン女子と同年国体のバスケット男子以来の快挙。記事では角田さんの喜びの言葉とともに、当時の札幌弓道連盟副会長、関根克治さん(中36期)の祝辞が寄せられました。このほか第11号では、1977年のインターハイに出場したバスケットボール部の活躍を紹介。第13号では、1924年(大正13年)に全国中等学校柔道大会の団体の部で全国制覇し、北海道柔道連盟の設立にも尽力した島本勇蔵さん(中29期)への哀惜の辞が記されました。
 ブラジル移民としてアマゾンのジャングル開拓に挑んだ先輩もいました。第12号には、1931年(昭和6年)に太平洋をわたって入植した笠井孟さん(中36期)が「ブラジルにおける奮闘史」を寄稿。第二次世界大戦中に「敵性資産」として農園没収の憂き目に遭うなどの苦労が綴られています。なお、この寄稿文は1977年。札幌商工会議所中南米視察団がブラジルを訪れることを現地紙で知った笠井さんが、サンパウロでの北海道人会歓迎会に出席し、46年ぶりに再会した旧友に「級友諸君に回覧してほしい」と託したものでした。

上皇さまの御側近

 鈴木菊男さん(中27期)は、1941年(昭和16年)に宮内省入り。1946年(昭和21年)に侍従となり1957年(昭和32年)11月から77年(昭和52年)9月まで20年間、皇太子さま(今の上皇さま)に仕える東宮大夫を務めました。第17号(1980年9月30日発行)には「皇太子殿下にお仕えして」と題し、側近として感じた思いが記されています。
 上皇さまにお仕えしてまず感じたのは、「職員に対するご態度のお手篤さ」。だれでも例外なく、さんづけで呼ばれる姿に「殿下のお人柄のご誠実さと温かさに驚きと感銘を受けたのである」と綴っています。
 鈴木さんは、皇室が初めて民間から迎えられた皇太子妃美智子さま(今の上皇后さま)とのご成婚にも深く携わりました。上皇さまと上皇后さまはご成婚の翌年、1960年(昭和35年)に米国を公式訪問されました。米大統領訪日の打合せに来た秘書ハガチー氏が訪日に反対するデモ隊に取り囲まれ立ち往生した「ハガチー事件」などがあった直後であり、「お若い両殿下に随行する我々の心は重かった」と振り返りつつ、政治とはまったく違う次元から米国民の心をつかんだ姿に感動した様子を記しています。「常に世界の平和とわが国の安泰とわが国民の幸福を第一義とされ、移り行く世のなかで、いつもご自身のお心の声明を問い、小我を越えて、力強く、国民とともに生きてゆかれる」という文章には、上皇さまへの深い尊敬の念がにじみでています。
 なお、2019年には鈴木さんの日記が発見され、新聞の1面で報道されました。皇太子妃選考の経緯なども示されており、歴史の一端を知る貴重な一級資料です。