自然から離れるほど、いのちがへっていく・・・つまり病気になります
本間 真二郎(南37期)
最近知人から、「先生は白い巨塔からドクターコトーを通り越し、百姓医者になったのですね」と言われました。当たらずも遠からずという感じです。私は今でも医師ではありますが、ある時点を境に人生を180度方向転換しました。西洋医学の最先端にいた私が、どのように今のような生活をするようになったかを振り返ってみたいと思います。
私は札幌生まれの札幌育ち、札幌南高から札幌医科大学に入り、卒業して小児科医になりました。医者になった当時は、自分が勉強してきた西洋医学以外の医学などあるはずがないと考えていました。一日でも早くに西洋医学を究めて、それを駆使して私が患者を救っていくのだという意識が強かったと思います。
この当時の私は、充実はしていましたが今とは全く正反対の不自然な生活でした。ほとんど寝る間もないような状態に加え、食事はコンビニ弁当、カップラーメン、出前のいずれかで、私の身体の99%はこの3つで出来ていたと思います。
研究の分野では、ノロウイルスの研究をはじめました。当時、ノロウイルスは名前も知らないようなマイナーなウイルスでしたが、私は、ノロウイルスが当時考えられているよりはるかに重要な役割を果たしていることを世界で初めて報告しました。
この業績が認められたこともあり、ライフサイエンス研究所では世界の最高峰といわれる米国NIH(国立衛生研究所)に留学することもできたのです。
アメリカは自由な国と言われます。結果さえ出せていれば、人の迷惑にならない限り、何でも自由に決められます。いままでの歯車の一つであるかのような分単位で仕事をこなして生活する環境から、自分で自由に時間を作れるようになったのです。
そこで、かねてから考えていた医療における違和感を深く考える時間もできたのです。違和感というのは、簡単に言えば「医者は本当に患者を治しているのか?」ということです。もちろんケガなどを含めた救急疾患や重篤な感染症に対する抗生剤の使用など、明らかに医療が病気を治していることもあります。しかし、ほとんどの病気は薬や医療処置で治しているのではなく、症状を抑えたり、検査の値を良くしているだけなのです(これを対症療法といいます)。たとえば、医者が毎日みる病気で一番多い病気は圧倒的にかぜになりますが、実はかぜはかぜ薬が直接治しているわけではありません。熱や、咳、喉の痛みを抑えている間に自分の力で治っているのです。がんであっても、医者はがんを手術して取ったり、薬や放射線でたたきますが、これも今見えている癌をなくそうとしている対症療法といえます。もちろん対症療法が必要になることもありますが、現代医療は、それよりももっと重要な「なぜ、がんになったのか?」「なぜ、がんにならない、あるいは再発しないようにできないのか?」という根本の問題には眼を向けていません。
これだけ医療が発達しているのに、がんの発生数もがんによる死亡数も増え続けているのです。がんだけではなく、ありとあらゆる慢性病が増え続けています。病気を自然に治そうとする力とは何なのか。そもそも人が病気になる、ならないはどのようなしくみで決まっているのか。これらのことがわからなければ医師として片手落ちなのではないか。何事も徹底的に調べないと気が済まない性格でしたので、このことを可能な限り深く探求してみることにしたのです。現代西洋医学はものすごい勢いで進歩しており、今では分子の動きまで研究できるようになりましたが、細分化されればされるほど物事の全体性が見えにくくなります。西洋医学は、その範囲内では決して間違ってはいませんし、実際に役に立つこともたくさんさんありますが、あまりにも視野の狭い範囲内でしか物事を考えていないのです。病気をはじめ物事の本質に迫るためには、よりグローバルな視点から総合的に考える必要があったのです。
まず考えたのは、人の身体は食べたもので出来ていますので、健康や病気には食が関係しているだろうということです。そして、食材を生み出しているのは農になります。さらに農作物に養分を供給しているのは土=微生物=環境です。つまり、医(病気、健康)だけを考えるだけではなく、医の前に食があり、食の前に農があり、農の前に微生物=土=環境があることになります。このように、食、農、微生物、土、環境などからはじめ、生活、自律神経、心から政治、経済、教育、宗教からスピリチュアルに至るまでありとあらゆることについての本を読んだり、論文やネットなどで情報を集めました。
日本に帰国してからは、実際に農家さんのところへ伺って作業を見せてもらったり、体験させていただいたり、意見交換したりもしました。様々な情報を集めて行くと、どの観点から考えてもすべてに共通するたった一つのシンプルな法則があることがわかりました。現代の私たちの生活は、快適で便利になりましたが、あまりにも本来の自然からかけ離れており、そのことが病気になる最も根本の原因だったのです。人以外の全ての生物は自然に沿って生活しています。この自然の大きな流れに任せていれば、すべて自然が自動的に問題を解決してくれ、病気にはならずに健康に生きられるのです。ですから「自然から離れるほど、いのちがへっていく・・・つまり病気になります」ということなのです。
このことを実際に確かめるために、栃木県に移住して自然な生活を実践することにしました。医師としても一人の人間としても、いままで築き上げてきたことを手放すことになりますので、とても大きな決断でした。当然ですが、ほとんどの人、とくに同じ医師の同僚や先輩方からは猛反対されました。「本間くん、頭がおかしくなったのかい?」「何の宗教にはまったの?」何度も聞かれました。「私は気が違っていませんし、宗教にもはまっていません、むしろ無宗教です。」何度も答えました。この時は、「本当に正しいと思うことがわかった以上、これからの人生は自分の心にうそだけはつかない生き方をしよう」という気持ちが強かったと思います。
様々な情報を集めている時に、同じような考えを持ち、すでに実践を始めている医師がおり、その方とつながりができたことが栃木県に移住した大きな理由です。こちらに移住してからは、まず自然の仕組みを理解するために診療所の隣に畑を借りて自然農による作物の栽培を始めました。自然農とは、なるべく手を加えずにあるがままの自然の状態で作物を育てる方法で、土を耕さず、草を抜かず、農薬はもちろんですが肥料も使いません。厳密な区別は無いのですが、有機農(オーガニック)と違う点は、科学肥料だけではなく、有機肥料も基本的には使わないところでしょうか。ただし、私が自然農を行っているのは、自然の仕組みを理解するための実験的な意味合いが強く、本当にこのような農法が成り立つのか確かめているという意味もあります。有機農や他の農を否定している訳ではなく、自然の循環に沿っているものであればまったく問題ないと考えていますし、実際に私も一部肥料をつかったりするなど有機農を併用しています。はじめは収穫がとても少なかったのですが、毎年順調に作物の出来が良くなってきています。慣れてきたせいか、農作業にかかる時間もはじめの三分の一程度でできる様になってきました。
現在では、地元の農家さんをはじめ、様々な方のご協力のもと、米、麦、雑穀、豆、イモ、季節の野菜40種類ほどをほぼ自給自足でまかなっています。畑でとれた野菜や豆、自分で育てた麹菌などを利用してみそ、しょうゆ、みりん、酢、納豆、甘酒、漬物などの調味料や発酵食品も家でつくります。さらに、簡単な家具や身の回りの道具、石けんや子供のおもちゃも手作りで楽しんでいます。このような自然に沿った生活を始めて、私の体調は大きく変化しました。もともと私は、顔色もとても悪く、夏の熱い所でもほとんど汗をかかないようなとても冷え性の体質で、冬は足を伸ばして眠れない程でした。今は、むしろ暑がりなくらいで、顔色も良いですし、以前に感じていた慢性的な疲れもなく、体調はとても良好な状態です。
2年程前から、多くの人のために自分の知り得たことをお伝えしなければという思いが強くなり、ブログやフェイスブックで情報発信をはじめたところ、思った以上の反響がありました。全国から講演依頼もあり、昨年だけでも80回近く行ったと思います。講演会に来ていただいた出版社の方とのご縁で、私の考えをまとめた初めての本「病気にならない暮らし事典」も出版させていただきました。本当にありがたいと思っています。
なるべく薬や注射を使わない自然派の医師を名乗っていますが、このようなスタイルで医療を行ってる所は少なく、活動が広まるにつれ、全国から患者さんも来られるようになってきました。現在の私の活動は、医師としての日々の診療に加え、農作業、発酵食品つくり、日常生活の道具の作成、情報発信(ブロブ、フェイスブック、本、雑誌、講演会、ワークショップ)など、何が本職かわからなくなってきています。まさに百姓医者というのがもっともふさわしいかもしれません。ちなみに百姓とは、百の仕事ができる人という意味で英語ではSupermanというそうです。よく「先生、いつ寝てるのですか」と言われるのですが、私の現在の生活はとてもシンプルです。一日の生活は、日の出に合わせて起床し、診療所で仕事を終え、テレビやネットもほとんど見ずに、3歳と1歳になる子ども達と添い寝しながら午後9時には一緒に寝ているような規則正しい生活です。自由にできる時間のほとんどは子ども達の相手をしているのが実情で、とても楽しく毎日が充実しています。
本間 真二郎(ほんま しんじろう)
小児科医。
1969年、北海道札幌市生まれ。
札幌南高校、札幌医科大学医学部を卒業後札幌医科大学付属病院、道立小児センター、旭川赤十字病院などに勤務。2001年より3年間、米国のNIH(国立衛生研究所)にてウイルス学・ワクチンの研究に携わる。帰国後、札幌医科大学新生児集中治療室(NICU)室長に就任。2008年、栃木県那須烏山市に移住し、現在は同市にある「七合診療所」の所長として、地域医療に従事しながら、自然に沿った暮らしを実践している。二児の父。
健康に関する講演を全国で行っている。2016年11月に初の著書「病気にならない暮らし事典」(セブン&アイ出版)から刊行。
第91号 の記事
2017年10月1日発行