近年着物事情
池上 公介(南9期)
このところ、年々着物が復活してきた様で嬉しく思っている一人だ。私は正月三が日は頑張って着物で過ごし、家族にも極力そうしてもらっている。孫達も、小さい時から、日本間で正座して、お年玉を受け取る事もずっと続けて来た。私が知っている祖父母の姿や立ち振る舞いも何とか継続して伝えて行きたいと言う思いからだ。
例年の花火大会では、年々ゆかた姿が多くなってきた。以前は女性ばかりが浴衣を着ていたが、特にこの一、二年は男も着るようになって来た。しかし男が駄目なのだ。何がだめかと言うと、着方がどうしたものか、帯を女性のようにウエストで締めているのが時々いる。とても気持ちが悪い。なぜなのか。普段から、浴衣の着る機会、見る機会がないからなのだろうか。
温泉などに行くと宴会の席から出て来たり洗い場から出て来る若い男達の帯をウエストで締めて、前が広がってヒラヒラして歩いているのを見ると本当に嫌になってしまう。
豊橋で塾の経営者の全国大会研修会があり、私が講演する事になり、豊橋に行った。講演のあと懇親会があり彼等と親しく時間を過ごした。特に若い塾経営者はとてもしっかりしており、三十代、四十代で大きなチェーン塾を経営しているのには本当に驚いた。
朝、大浴場でひと風呂あびた。前夜すっかり親しくなった彼等の何人かとも一緒になり、話をしながら脱衣場に出て来た。
浴衣を着ようとした時、私はビックリしてしまった。とてもしっかりしている四十代半ばの先生が、浴衣の帯をウエストで締めようとしていたのだ。
「先生、チョット」
と私は声を発した。
「はい、何か?」
「先生、浴衣の着方が違うのです。」
「そうなんですか、私は全然わかりませんので教えて下さい。」
「帯をウエストで締めるのは女性です。男は腰骨の上辺りにしっかりと締めるんですよ。それじゃ見て下さい。」
私はゆっくり襟を合わせて、前を合わせて見せていると洗い場から出て来た若い先生達が
「何をしているんですか?」
と聞いてきた。彼が
「浴衣の着方を教えてもらっているんです。」
と言うと他の人達も次から次へと
「全然わからないんです。一緒にお願いします。」
と何と十数人が私を囲み脱衣場が何と着付け教室になろうとは思ってもみなかった。
中年以上の男性達はすっきりと着ていてほれぼれする人達がいるが、この頃の若者達の着物姿には「何だ、これは?」と言うものが見られる。
その後、定山渓のホテルでも講演が入った。今度は老人クラブの大会で五百名近くの高齢者の人達だった。一泊して朝帰ろうとしてロビーに降りて来た。お土産コーナーに行くと沢山の浴衣姿の人達でいっぱいだった。そこに二十代前半と見られるカップルがいた。何とも二人とも浴衣姿がビシッときまっていて、とても格好がいい。「わぁーこんな若者もいるんだな何と素敵なんだろう」と近くに行ってみた。ところが話をしているのが中国語のだ。私は
「どこから来たんですか?」
と英語で聞いてみた。
「台湾からです。」
「あなた達の浴衣姿はとても美しいです。素晴らしいですよ。」
と私は素直に思ったままを伝えた。
「本当ですか。ああ、良かった。実は日本に来るにあたって、着物の着付けを習って来たんです。恥をかきたくないですから。今回が日本に来たのは初めてなんです。」
私はすっかり感心してしまった。このところ、京都や金沢に行くと外国人達が随分着物姿で歩いている。貸衣装屋が今はかなりの数あり観光で来る人達、日本人は勿論だが、外国人が圧倒的になりつつあるようだ。貸衣装屋さんのプロ達が着付けをしてくれているので、きちんと着ていて歩いている姿が街にぴったりと入り込んでいる感じである。しかし肝心の日本人の中に、まるで外国人かの様に着ているのが情けない。
花火大会の時に若いお母さんが五歳位の可愛い女のお子さんに浴衣を着せていた。しかし驚いたことに左前に着せている。私は少し躊躇したが、ここは何とかせねばと思い声をかけた。
「可愛いお嬢さんですね。」
まずは褒めてから、そして
「お母さん、襟が反対ですよ。」
ところがそのお母さん
「うちの子、女の子なんですよ」
と言うので又びっくり。
「お母さん着物は洋服と違うんです。男も女も同じなんです。それは左前と言って死者の装束にするんです。死人前、死人あわせとも言って縁起が悪いとされているんです。」
私は勇気を出してお母さんに伝えた。
「あら、全然知りませんでした。すぐ直します。」
こんな場面がこれから多くなっていくのだろうか。
私はできるだけアドバイスをして行こうと思う。私は喜寿、私達ができる事があるのだから。
池上 公介(いけがみ こうすけ)
学校法人 池上学園 理事長
1940年 北海道札幌市生まれ。
「池上イングリッシュクラブ」を札幌で開き、幾多の英才を輩出させ全国規模の英語弁論大会に多くの生徒を入賞させる。中学浪人生を救うために「池上学院」を開校。その後、小中不登校生のため「池上オープンスクール」、通信制サポート校「札幌高等学院」個別指導の「大学受験科、高認コース」等を次々に開校して、不登校、学力不振、中外などで学校生活を中断した子供たちが再び学べる環境作りを実践。
2004年 「学校法人 池上学園」設立。理事長就任。単位制通信制「池上学院高等学校」を開校。不登校、高校中退者を積極的に受け入れている。
2009年 「学校法人グローバルアカデミー専門学校」開校。総合ゲーム学科、情報システム科、音楽療法学科、社会生活学科がある。
2009年~2013年
池上学院高校 函館、帯広、北見、釧路、室蘭、旭川、苫小牧の七都市にキャンパスを開校
STV、FM AIR-GなどTV、ラジオ、での「池上公介のワンポイントイングリッシュ」が人気をはくした。
現在、沖縄から北海道まで日本全国より講演会の依頼があり、大きな感動を呼びながら精力的に活動している。
第91号 の記事
2017年10月1日発行